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「ケンカする暇もなかった」掘りごたつに入ってテレビを見ながら、鷹たか取とり民たみこ子さん(70)は畑でとれた小豆の選別をしています。外で見かける姿としては、ピンと伸びた背中にしょいカゴを背負い、手をグーにしてぐいぐい歩いていく姿がとても印象的です。小学生の頃の暮らしぶりを鷹取さんに伺うと「変なことばっかりだったぞ」と言います。どんなことが変だったのでしょう。ごそごそと一緒に掘りごたつに入らせてもらって、その話に耳を傾けました。当時の棡原小学校は全校児童がおよそ900人いたようで、沢さわ渡たり地区に住んでいた鷹取さんは近くの分校に4年生まで通い、5年生からは猪いまる丸地区にある現在の棡原小学校へ片道1時間ほどかけて歩いて通いました。朝、小・中学生がぞろぞろと列になって歩いていき、遅刻しそうな中学生が後ろから飛ぶように走ってくるのは怖かったそうです。送迎バスを待つ中学生を一人か二人見かける今のようすからは、なかなか想像できません。反対に、帰り道のようすを話そうとした鷹取さんは突然、背中を丸めて笑い出しました。あまりにも笑いすぎて目にはうっすらと涙をためて言います。「町から荷物を運ぶ牛や馬の荷台に、それっ、と乗ってよ。(家畜を引く)おじさんに、重いからだめ、と言われてもおかまいなしだったわ」夏には頭にカバンをのせて、友だちと川を上りながら家に帰ったと言います。気ままでやんちゃな子ども時代が想像できますが、じつはそれだけではないようです。鷹取さんが小学校中学年くらいまでは、服は着物でした。素材は「お蚕をやっていた」から絹です。「ホオの木でこさえた(つくった)」板の上で、子どもであっても自分の着物は自分で、手縫いでつくったというから大変です。片道1時間以上はかかる山奥へ薪拾いにいったり、夕食のうどんの生地をこねておいたりするのも子どもの大切な仕事だということでした。棡原では平らな土地が少ないため、急斜面の土を耕すことが多いのです。また、季節に関係なく沢の水も冷たかったため、お米を多くはつくれなかったようです。そのこともあり、小麦粉で生地をこねてうどんを食べることが多かった、といいます。「遊んでる暇なんかなかったぁわ。ケンカする暇もなかった」と鷹取さんは言います。昔の子どもは、家という大きな歯車を動かす大切な働き手だった印象です。上野原市にある全校児童が20名ちょっとの上野原市立棡ゆずりはら原小学校は、今年の3月で閉校を迎えます。そこに通うのは、遠くからでも大きな声であいさつをしてくれる人なつっこい子どもたちです。そういえば、日ごろお世話になっている地域の方々の多くが、この小さな学校の卒業生なのです。小学生くらいの頃はどのような暮らしをしていたのだろうと、聞いてみたくなりました。地域の語りが示すもの製麺機。うどんの生地をのしたり、麺の形に切ったりすることができる狩野慶(ゆずりはら青少年自然の里)=文・写真27

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