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暮らしと生きものとの距離地域の方々に昔の記憶を聞かせていただくうちに、集落と山を架線で結び、山で切り倒した材木を運んだという話を聞きました。スキー場で目にするリフトのような構造に似ているようです。その跡がわずかに残されていないだろうかと歩き回っていると「どこへ行ってきた?」と水みずこし越久ひさよ世さん(74)が家の窓を開けて声をかけてくれました。「寄ってけ」と、言われるがままに家に上がらせてもらい、架線の話を伺うことにしました。水越さんの家族は平成の初めまで、架線を使って山のなかにあるワサビ田だからワサビを運んでいたようです。時々、滑車で運ばれてくるカゴが「いつもよりゆっくりと、ぶらんぶらんと揺れていた」ことがあって、他の人が捕まえたヘビが運ばれてきたことに気づいた時は、ぞっとしたそうです。飼っていたウサギやニワトリは、特別な日以外はあまり食べなかったということですから、山で捕らえた生きものは畑の作物とはまた違った貴重な食料だったことでしょう。身近な生きものを捕まえて食べたという話は、ついもっと聞きたくなる不思議な魅力があります。「お父さんが川にいるコジュケイに向かって鉄砲を撃つわけ。多いときは五羽が一気に落ちてきてね。足をそれぞれの指の間に挟んで持って帰ってくるの」今までにそのことを何度も話してもらいましたが、水越さんはその度に話している途中で笑いが止まらなくなってしまいます。当時のその光景がおかしくてたまらなかったようで、こちらもつられて笑ってしまうのです。ただ、昔と比べるとコジュケイはほとんど目にすることはなくなった、という地域のかたの声も最近は耳にします。小学生のころは水越さんと一緒に室むろどころ所という場所へ薪を拾いに行った、というのを鷹取さんに聞いたことを思い出します。室所というのは川を挟んで反対側の、小高い山の中腹にある平らな場所です。大人の足で1時間はかかるそのような場所にわざわざ薪を拾いに行ったのはなぜでしょう。水越さんは、近くの薪はみんなが拾ってしまっていたからだと説明してくれました。室所へいたる山の斜面は今でこそスギが植えられていますが、昔は一面が畑だったそうです。一昨年、そのふもとで僕はスイカを育てていましたが、4度ほどサルに食い散らかされてしまいました。60年ほど前は「サルやイノシシはいなかった。動物園で見る生きものだった」という鷹取さんの話を思い出します。なにげなく水越さんの家から外の景色に目を向けると、ちょうど道路脇のガードレールの下でたたずむ一頭のサルがいました。身近な生きものとの距離感が今と昔ではだいぶ違ってきていることを感じます。銛もり突きの名人「俺はまだ若いほうだからなぁ。昔の話って言ってもなぁ」困ったように高たか橋はし敬けい一いちさん(60)は頭をかきます。去年の8月、キャンプに来た子どもたちと川遊びをしていると、高橋さんがゆらりと現れました。足下に生えていたヨモギを川原の石ですりつぶしたら、手に持っていたゴーグルの内側に曇り止めとしてこすりつけます。そうして銛をもって川に入るとほんの数分のうちにアユを突いて見せてくれました。いつのまにか男の子たちは、網を競うように持って高橋さんの「猟」を見守っています。子どもたちの目を一瞬にして惹きつけた高橋さんの技に、ちょっとした羨ましさを感じたのを覚えています。それからというもの、いったいどのような子ども時代を過ごしてこられたのだろうかと気にするようになりました。「おう」とか「あいよ」とか、そのような返事をする高橋さんは前々からちょっと怖そうな印象がありましたが、今回は勇気を出してお話を伺うことにしたのです。昭和30年代の棡原小学校の写真を見せてくれながら、当時は石炭ストーブFIELD.NOTE28

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