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十日市場の山に、風変わりな男性が住んでいました。名前は熊太郎。ある日、熊太郎はキツネに憑つかれてしまいます。村の人たちは祈祷師を呼んで、キツネを呼び起こしてもらいました。祈祷師がまじないを唱え、「おキツネ様、どうすれば離れますか」と尋ねると、眠っている熊太郎の口が動き「山梨稲荷のそばに祀ってくれ。そうすれば、良いことが起きるときは表通りでコンコンと鳴き、悪いことが起きるときはキャンキャンと鳴いて知らせよう」と答えます。さっそく、山梨神社の社地に小社を借りて祀ったところ、熊太郎は正気に戻って、村人たちは安心して暮らせるようになりました。 何年かして、熊太郎は天寿をまっとうしました。ある日の夜明けに、裏通りで「キャンキャン」とキツネの声がします。村の人たちはキツネの宣託を思い出し、不安になり夜も眠れません。そして、なんと予兆通り、その夜に村の半分が焼ける大火事が起こりました。村人は寝ていなかったのでみな逃げることができ、誰もが無事でした。 このことがあってから、熊太郎稲荷には御利益があるとされ、功徳にあやかろうと、近郷からたくさんの人々が参拝するようになったといわれています。~熊太郎稲荷~*参考文献 内藤泰義著『郡内の民話』(なまよみ出版 平成3年) 熊太郎稲荷(下)とその入り口(上)熊太郎稲荷は十日市場にある。地図をもとに探していたがなかなか見つからない。そのうち、二、三度行き来していた通りの民家の脇にある、細い道が目についた。こんな心もとないあぜ道が神社に繋がっているのだろうか、と考えながらその道を進む。歩き出してすぐに行き着いた曲がり角を曲がると、予想外のタイミングで、小ぢんまりとした神社が目に入る。ひっそりした林のなかに、大人三人がぎりぎりくぐり抜けられるほどの、小さな朱色の門が四基並んでいた。近付くと、それぞれ鳥居の中心に「熊太郎稲荷」と手書きの札があり、奥には古い社やしろが見えた。小規模ながら紛れもない神社であったことに、発見の驚きが感動に変わる。稲荷のそばの作業場で機械作業をなさっていた、十日市場在住の渡わたなべとしろう辺敏郎さん(59)によると、熊太郎稲荷は熊太郎という男性が居着くようになる前からずっと、斎藤家の氏神としての稲荷だったそう。また、明治以降から現在まで、2月には初はつうま午(稲荷の祭礼)が催されているらしい。気になったのが、渡辺さんはキツネの件については聞いたことがないとおっしゃったことだ。詳しそうなかたがたにお話をうかがってみた。都留の郷土史を研究されている棚たなもとやすお本安男さん(83)は、熊太郎稲荷は水源を示すものであるとおっしゃる。ミュージアム都留の学芸員のかたにも尋ねたが、物語の発祥に関する詳しい文献は残っていないとのこと。物語の全容が明らかにならず、民話のもつ年月という奥行きをひしひしと感じた。じっさいに物語が生まれた地を訪れてみて、人々に親しまれ、長く続くゆかりの行事が催されている、民話の新たな姿に出会い、本を読んだだけでいるよりずっと民話に愛着が増した。お地蔵や稲荷を目にして、物語は真実味を帯びてきたけれど、長い年月を奥底まで透かすようにみることは難しい。しかし、不鮮明だからこそずっと興味を抱いていられる。発祥の地は、自分にとって特別な場所になった。…………あらすじ…………31

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