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…………あらすじ…………あ民話のとかがめや地蔵うつむきを拡大~かがめや地蔵~元禄12年のこと、たいへん徳の高い祖そぎょうぜんじ暁禅師という僧が法ほうせんじ泉寺の住職となりました。法泉寺にはお地蔵がなく、祖暁は石工に作らせようと思いました。お地蔵には大おおはたやま幡山の石を使い、厨ずし子(お地蔵を安置する箱)と一緒に作ったところ、地蔵が大きく出来てしまい、厨子に納まりません。石工は謝り、作り直すことを提案しました。しかし祖暁は「良い出来じゃ。私に任せなさい」と言って地蔵の前に座ると、「私は人々の成仏を願い、菩薩のお姿にさせているが、なんじはそもそも大幡山の石ころであるのだ。開眼に間に合わぬならもとの山に捨てる。かがめや地蔵、かがめや地蔵」と力強く唱えると、驚くことにお地蔵がお辞儀をするようにうつむいたのです。厨子に納まることができて、無事奉納されることとなりました。それ以来このお地蔵は「跼かがめや也地蔵」と呼ばれ、祖暁さんの法力が込められていると信じられており、多くの人々が祈願に訪れています。昔話に地名が出てくると、奇妙な出来事が本当にあったのかもしれないと、一瞬どきりとする。昔話という、かたちがないものに近づきたくなって、都留の民話の舞台を訪れた。法泉寺は、都留市田原一丁目にある。門を抜けて境内に入ると、お堂が二つあった。1月中旬、しんとして厳かな境内には、雪がうっすらと積もっている。このどこかにかがめや地蔵があることを考えると、物語の世界の入口にいるようで、好奇心と緊張が入り混じる。見たいけれど本当に見てもいいのか、と自問自答しながら敷地を見回してみたが、かがめや地蔵らしいものはない。お寺のかたに尋ねてみると、左脇にあるお堂に所蔵してあるそうで、快く案内してくださった。お寺のかたが鍵を開け戸を引くと、丁重に祀まつってあるお地蔵の姿が見える。物語の片鱗を目の前にしているという高揚感が湧き上がり、ひたすら見入ってしまう。そのうちぞくっと心地良い衝撃が走る。お地蔵が本当に少しうつむいていたことに気が付いたからだ。お寺のかたによると、毎年4月の第3日曜に地蔵祭りをするそうだ。檀家さんや近所の人たちが集まって、数日前に渡しておいた赤い紙に名前を書いてきてもらう。紙は一年間お寺で保管し、厄除けを祈る。物語の発祥以来今まで、三百年近く続いているらしい。そのあいだじゅうずっと、物語は人々に代々語り継がれてきたということだ。帰りぎわ、不粋だと分かりながら、つい「この話って本当にあったんでしょうか」と尋ねた。少しの沈黙のあと、お寺のかたは手を口に当てて「ふふ、どうでしょうねえ。じつはこの話にはからくりがあるんですよ。言いませんけどね」と、笑いながらおっしゃった。お地蔵を見て、お祭りの存在を知って、自分のなかにあった物語の世界が色付きだした。けれど、話の真偽は曖昧なまま。からくりとは何なのかと一瞬思ったけれど、すぐに聞かなくてもよいという気になった。お寺のかたの愉快そうな笑顔を目の前にしたその時が一番、物語に惹き込まれていると強く感じたからだった。平井のぞ実(英文学科3年)=文・写真FIELD.NOTE30

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