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年が明けて1月21日の午前中、雪が降りしきるなか、再び資料館を訪ねた。「ちょうど押入れの整理ができてよかったよ」と笑いながら、さっそく藤森さんが掘り炬燵となるパーツを取り出す。一つは炉とほぼ同じ大きさの木枠。そしてもう一つが、昨年見かけていた木製の机だ。四隅にそれぞれ八角形に加工された脚がつけられており、ちょっとしたところに意匠を感じさせる。触ってみると、全体的にすべすべと滑らかで、使用された年月を物語るかのように机の角は丸みを帯びていた。ところどころ新しい板と釘を用いて修繕した箇所がみられるが、もとは釘を一本も使わずに作られていたようだ。あとから継ぎ足した部分が色調を乱しているようにも見えるけれど、長年に渡って大切に使われてきたあ﹅﹅﹅かしとして好感が湧いてきた。掘り炬燵を再現するじっさいに机を炉のうえに設置していただいた。半畳よりもひとまわり小さい炬燵は、家族団欒の中心の場としてはいささか窮屈だ。炉には足を下ろすほどの深さはなく、机の脚は正座して太股がやっと入るくらいの高さでこぢんまりしている。藤森さんによれば、かつて仁科家が絹問屋として栄えたころ、掘り炬燵が造られたこの部屋は、茶の間兼事務所として使用されていたそうだから、小振りなサイズはそうした部屋の機能に対応するものだったのかもしれない。炉の掘られている位置が部屋の中心から少し外れているのは、人の出入りの多さを考慮したからだろうか。きっと忙しい仕事の合間にあたたかさとひと時の休息を与えてくれる場所だったにちがいない。炬燵布団をかぶせた姿を思い浮かべながら部屋中を見渡していると、あれこれ想像が尽きない。現在でも掘り炬燵が残っているという話はよく耳にする。けれど多くの場合は床を張るなどして改修されていて、昔のままの姿にはなかなか出会えない。だからこそ、本物を目の前にしたときの嬉しさはいっそう大きく、もっと詳しく知りたいという好奇心はますます膨らんでいった。人づてに話を聞くだけに留まらず、実物を目にして肌で感じることで、それまで想像でしかなかった部分は具体的に分かるようになり、自分とのあいだに距離を感じていたものはより身近なものとして捉えられるようになった。昔日の話に積極的に耳を傾け、さらに見たり触れたりしながら自分で確かめる作業は、これからも積み重ねていくことが必要だ。みずから見聞きし考えたことは、次なる学びの機会を得たとき、なによりも心強い支えになってくれるはずだ。牛丸景太(国文学科2年)=文・写真机を設置したようす。丸みを帯びた角や、加工された脚など見どころが多い*脚の長さ:32㎝33

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