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遠藤さんのご自宅にある詩友会の資料。数十冊のアルバムとファイルに保存してあるているようだった。思わず私もその会場にいるような気分になる。遠藤さんと長い付き合いになる会員の関せきぐち口幸さちえ恵さんは「遠藤先生の家に行ったらいつでもあのころに戻れるね」とおっしゃっていた。最初、37年も続いていると聞いてもなかなか実感がなかったが、遠藤さんたちの詩友会の思いを聞き、資料を見ることで、37年分の思いが詰まったこれまでの歩みが見えてきた。今までの積み重ねがあったからこそ、現在の詩友会があり、そしてこれからも続いていく。「人間ってやってもやらなくてもいいってなると、やらなくなるのよ。でも、詩が好きだったから書きたいと思った。それなら、みんなでやったほうがいいじゃない!一人じゃできないよ。みんなの力が集結して会ができる。みんなを巻き込んでやる。これってすごいことだと思うのね」遠藤さんは詩友会への思いをそう語る。私自身、大学に入ってからも詩を書こうという思いはあったものの、何かと理由をつけてあまり書いていなかった。でも、詩友会に入ってからは積極的に詩を書いている。自分だけではなかなか実行できないことでも、誰かと一緒なら継続できる。遠藤さんは自分が好きなことを、そのことが好きな誰かと共有することを大切にしている。自分一人だけで活動していたら、出会えなかった人や作品がたくさんあることを知っている。その姿勢が私はとても好きだし、これからも見習っていきたい。詩への思い詩のどんなところが好きなのかを遠藤さんに尋ねると、「詩を書くのは大変なことよ。いつでも心に留めておかなきゃ書けないでしょ。でも、書かなきゃ毎日の生活がふつうに流れていくけど、詩を書くと、これは詩になるかなって絶えず思うじゃない。そこが、詩のいいところ」とおっしゃる。遠藤さんにとって詩は「心のよりどころ」だ。詩への思いを聞いて、私にも共通する点があり、す・・・とんと腑に落ちた。私がどうやって詩を書くのかと考えたとき、自分の感情をそのまま書くこともあるけれど、ある物事とじっと向き合いながら時間をかけて書くことが多い。物事から何が見えて、何が聞こえるか。いろいろな視点から見たり、何か違うものと結びつけたりすると、自分でもびっくりするようなところから言葉が浮かんでくる。流れる時間のなかでいつまでも残しておきたい瞬間があるから、その瞬間を切り取り、も・・のとして、目に見える形にする。詩は写真や絵と違って、パッと見ただけでは何を伝えようとしているのかわからない。でも、読めば読むほど、そのなかに隠れている書き手の思いが見えてくる。自分の詩をあとで読み返すと、書いたときの自分の思いが詩から伝わってきて、そのときの自分に戻れる気がする。少し恥ずかしいし、照れくさいけど、いつでも過去の自分に戻れることは、一歩進むために大切なことだと私は思う。私にとっての詩は、物事をさまざまな切り口で見つめられる場所であり、そのときの自分の思いを留めておける場所でもある。だから私は詩を書くことが好きなのだ。前澤志依(国文学科2年)=文・写真詩誌『樹』の製本作業。一枚一枚紙を重ねる作業はつい没頭してしまう39
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