FN73号
21/48

た。「白加賀」の梅干しは、肉厚で実も大きく、ほどよい塩加減だ。梅干しの赤みは畑で採れたシソの葉だけで着色されている。まさしく、古渡の恵みが詰まった本物の味。その地域ならではの食との出会いは、古渡の梅の魅力をいっそう引き立てる。知恵の実̶̶「梅」という選択̶̶ 山に面した場所を中心に、梅畑がつくられている古渡。田んぼや畑のそばにも梅が何本か並んでいるのを見かけた。地域一帯に梅の広がりが確認できるが、いつから梅が栽培されるようになったのだろうか。三枝さんの梅畑に隣接した土地で、梅の手入れをしていたおじいさんに聞いてみた。すると、「昭和20年以降だった」と答えが返ってきた。どうやら、地域で一斉に栽培に乗り出したのがそのころからだったようだ。 けれど、なぜ梅だったのだろう。日陰がよいとされる梅の栽培に適した土地だったこと以外に、「このあたりは石が多くてコメや野菜をつくりにくかった」と、地理的な課題もうかがえた。山に面した地域だからこそ、農業も一筋縄ではいかなかったのだろう。古渡で生きていくための知恵と決意が梅には込められていたのだ。 昭和20年以降から栽培されはじめた梅は、昭和50年代には古渡を活気づけた。古渡の自治会長を務める秦はた仁さとしさん(69)によると、「全盛期には、沼津からも業者が買いつけにきた」ほどの収穫量を誇り、豊作の場合、一本の木から50㎏もの実が採れた。また、古渡で「志村商店」を営む志しむら村繁しげるさん(78)は、「当時は、会社を休んででも梅をもいでいた」そうだ。じつは、梅自体はずいぶん前から栽培されていたのだが、実が高値で取引されるようになった昭和20年以降、古渡全体でこぞって梅の栽培が始まったという。 ただ、最近は収穫量が減っている、とお話をうかがった全員が口にする。とくにここ7年は厳しいようだ。因果関係ははっきりしないが、受粉を手助けするミツバチが花に寄りつかなくなったことや、開花時に降る雪が花芽に悪影響を及ぼしているのではないかと考えられている。 「昔は一本の枝に垂れ下がるように梅の実が生なっていたけど、今ではあちこちにちょっとずつ生っているのを取らなきゃいけない」。こう語るのは、梅農家の三さえぐさ枝信のぶあき明さん(85)と和かずみ美さん(82)。一本の枝に垂れ下がるようになっている状態を「鈴生り」と呼ぶ。今では多くみられない光景のようだ。「あのころは業者がたくさん来て賑やかだった」と話す和美さんの寂しそうな表情が胸に残った。未来をつなぐ過去の歩み 地域の歴史は、さまざまなモノに投影されている。古渡の梅もそのひとつだ。梅畑で見た、収穫を今か今かと待ちわびるかのように実っていた梅の実は、古渡の風土を色濃く映す鏡でもあった。過去の記憶を探ることで、今見える世界の受け止めかたも変わる。 現在は、利益を見込めない経済的事情などで、昔ほど手をかけられないのかもしれない。惜しいなと思っても、梅とともに生き続けるのは地域に暮らす人である。次の世代には、梅はどう受け継がれていくのだろうか。 先人の築いてきた歴史を知ることは、今だけでなく、未来を構想する手段ともなりうるはずだ。その地の歴史と向き合うことを、これから都留市の旧5町村を巡る視座としていきたい。旧東桂村都留市の旧5町村を巡る(1)三枝さんからいただいた梅干し。左が「小梅」、右が「白加賀」。小梅は一口サイズで、カリカリした食感を楽しめる。白加賀は、肉厚でおいしい参考文献『都留市地名事典 第22・23号「郡内研究」合併号』都留市郷土研究会/2012

元のページ  ../index.html#21

このブックを見る