FN74号
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11*1)聞きなし:鳥のさえずりを、それに似た人間の言葉に置き換えて覚えやすくしたもの*2)鳥類標識調査:鳥に足環などの「標識」をつけて放鳥し、観察・再捕獲によってその   鳥の渡りや生態などを明らかにする調査。鳥類の捕獲には環境省の許可が必要んな鳥なのだろうか。この目で見てみたいと思い立った。自分でその姿を確かめられたら、そこには初めて鳴き声を聞いたあの夜と同じ喜びがあるのではないか、という期待も根底にあった。 6月7日の夜7時40分、大学裏の楽山公園近くで、編集部の西教生さんが実施した鳥類標識調査(*2)に同行させてもらう。道の両側に薮が生い茂る調査場所には、あらかじめ横12m・縦2m(地上高4m)の網が壁のように張ってあり、CDラジカセで鳴き声を流して野生のホトトギスをおびき寄せるという。ラジカセからの音声を聞きつけたオスのホトトギスは、縄張りを荒らすよそ者が来たと警戒し、飛んで来るというわけだ。鳥が網にかかったら素早く外せるよう、近くに控えて真っ暗な夜の森でじっと待つ。まちの明かりがほとんど届かない森のなかは、もしかしたら遠い昔の夜の空間に似ていたのかもしれない。 調査地に赴く前、本学のキャンパス周辺には例の「キョッキョッキョキョキョ」という小刻みな鳴き声が響いていたので、期待は大いに膨らんでいた。けれどいつまで経っても鳥はやって来ない。それどころか鳴き声すらまったく聞こえなくなってしまった。こちらは声を潜めて1時間ほどひたすら待ち続けたけれど、結局ホトトギスには会えず仕舞いだった。 一抹の悔しさを抱きながら山を下りてゆく。しかし『古今和歌集』のなかで「山ほととぎすいつか来鳴かむ」といってホトトギスの訪れを待望した人々に似た経験をしたのだと考えれば、必ずしも時間を空費し富士山麓で撮られたホトトギス。日本には九州以北の山地に渡来し、繁殖する。ウグイスなどに子育てをさせる托たくらん卵の習性をもつ。「てっぺんかけたか」と鳴くのはオス(撮影:西教生)たとは言い切れない。「待つ時間」の長さと、それにともなって膨らむ期待の大きさを感じ取ることができたのだから。でもやはり、自分の目で確認したい。この思いは、私が来年ホトトギスの訪れを期待する大きな動機になりそうだ。 ホトトギスの声は最終的に7月下旬まで、昼夜を問わず聞くことができた。その音に触れるたび、姿を見られなかった悔しさを思い出しながらも、古典の内側にあれこれと思いを巡らせる機会を得ることになった。和歌の作者は鳴き声から何を感じ、どんなことを連想したのか。あの歌の詠作背景にはどんなドラマや意図があったのだろう。毎日静かに鳴き声を聞くことは、音を頼りに素朴な疑問の答えを探す小さな試みへと繋がっていった。 ホトトギスの鳴き声は、広くて深い世界を想像し、理解するための入口を示してくれる。私はいま三度の夏を通して聞き続けた親しみの先に、身近な自然を意識しながら古典を学ぶ醍醐味を、この音から感じ始めている。

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