FN74号
21/48

21(2)旧宝村1875年、都留郡の金井・中津森・大幡・川棚・厚原・平栗・加畑の7ヵ村が合併のおり、村名がなかなか決まらないでいた。そのさい、県令藤村紫朗により、「7ヵ村」ゆえに七福神の縁起による良い結果となるようにと祈って、宝村と名づけてはとの示唆があったと伝えられている。て外部と遮断されているわけではない。けれど、一度踏み込むと、帰るときも来た道を戻る必要がある今回の散策は、まるで生きた洞窟を冒険するかのようだった。そんなわけで、奥へ奥へと開拓していく単純さもひとつの楽しみかたであった。暮らしの痕跡 金かない井・中なかつもり津森・大おおはた幡・川かわだな棚・厚あつはら原・平ひらぐり栗・加かはた畑の大おおあざ字が宝にはある。この7つの大字が、その昔は一つひとつ村としてあり、その後旧宝村として統治されたものの、都留市が誕生してからも大字として継承されている。 ひとつの地域を巡ろうとすると、ぼんやりとしていた大字の存在感がくっきりしてくる。自転車で進むのに、それほど大字を意識しているわけではない。頭にあるのは、宝を走っている漠然とした感覚だけだ。しかし、大字ごとに設置されている自治会館に出会うたび、今いる場所が宝のどこにあたるかの目印となってくる。そうすると、大字ごとに微妙に変化をみせる地形や雰囲気もまるごと、宝を知るのに大切な見どころに思えてくる。 例えば、厚原地区は、新しく整備された農道と農地があり、比較的、水田や畑が充実していた。加畑川に寄り添った平栗や加畑地区は、加畑川に一定間隔でかかる橋が目につく。ある橋を渡ってみると、生い茂る草地のなかに畑が作られていた。同じ宝でも、地理の違いで畑にも変化が見られる。考えてみると、それが当たり前なのかもしれない。 * 地域のなかの、さらに小さな単位で独自の生活圏を匂わす跡は、一括りに地域を俯瞰していては見えてこない。風土を探るとは、何があるのだろうと、そこに浸ってみることから始まる。雰囲気を感じとるのも大事である。 宝の「たから」はなんだろう。特別なものを見つけたい、私はそんな好奇心に駆られていた。けれど、地域を巡ることは、今も昔もあり続ける人の暮らしを辿ることだということに、あらためて気づけた。 そこにある山や川に畑、それに集落。どれも、人と関わり合っているモノたち。それに、名前だってある。それらは、人の営みに「なにか」を吹き込んできたのだろう。その「なにか」を、次回訪れる旧5町村を舞台に深めたい。旧宝村旧禾生村旧谷村町旧盛里村旧東桂村都留文科大学都留市の旧5町村大幡にある「向山食品工業K・K研修センター」。あやしい看板に誘われ、奥へ進むと見つけたツリーハウス。持ち主は、向むかい山やま和よりお雄さん(79)。40年前に土地を買ってから、「別荘」を作っている。毎週日曜日に東京都の自宅と宝を往復している。

元のページ  ../index.html#21

このブックを見る