FN74号
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23いつも下を見て歩く道がある。編集室へつづく、本学コミュニケーションホール横の小径だ。両脇は植え込みのある小さなスペースになっていて、シラカシやマテバシイが枝を伸ばし、小径のうえに日陰をつくっている。 足元に目を凝らすと、木漏れ日のなかに落ち葉や、虫や、小さなものが落ちている。ウメの木やエサ台に鳥が来ていることもあるし、道の両端に沿って植木鉢が並べてあるから、歩くときは自然と足が遅くなる。二人並んだらいっぱいで、ほんの数歩で抜けてしまう小さな径だけれど、ここにいろんなものがひそんでいるのだ。 7月4日のこと。みの虫が落ちていた(右頁写真)。近くの木から落ちてしまったのか。とっさにひろおうとして、迷う。別の日には、木の枝にそっくりなしゃくとり虫も(7月29日)。触れずに、そっと見守る。 このときはどちらも、ひろわずに見ているだけだった。気づかれずに誰かにシロツメクサに混じってネジバナが咲いていた。ランのなかま。よく見てみると、小さくてもたしかにランの花の形をしている。こういうものを見ると、誰かに伝えたくなる(7月11日 本学生協前の芝生にて)踏まれてしまうかもという心配はあったけれど、誰か気づくかしらというたのしみもあった。みの虫の、落ち葉や細い枝をつないだ見事なみのも、小枝のようなしゃくとり虫が前進する姿も、見つけたときはついしげしげと眺めずにはいられない。ちろちろ揺れる木漏れ日のなかを、ゆっくり、ゆっくりと横切っていくのを見届ける。 いったん目を離して次に見にいくと、みの虫は道端の植木鉢のへりに辿り着いていた。しゃくとり虫はまだ道の途中で、からだを伸ばして、一休みしているところだった。 いつもの場所が、小さな出会いで特別なものに見えてくる。木漏れ日も、植木鉢も含めてまるごと。 ひろうのは、誰かに見せたいと思うからだ。でも、一つをひろっても、伝えられないものがある。そういうとき、どうしたらいいのだろう。そのもどかしさのあいだで、すべてを「ひろう」方法はないものか、と考えずにはいられない。 先頭文字の背景は、中屋敷フィールドの果樹園で採ったウメの実(27頁参照)。
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