FN74号
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31②家のあいだを流れる水路のようすた。だが水路は途切れず続いており、しばらく進むとまた追うことができるようになった。目に見えないところにも水路が張り巡らされている。そんなことを意識しながら改めて道を歩いてみると、なんだか不思議な気持ちになった。 合流地点に到着 上町自治会館のさきの十字路にさしかかったとき、わたしたちは足を止めた。今まで追っていた水路が一本の大きな川へと姿を変えたからだ。十字路を南西から北東に流れている家中川と合流したのだ。並行して流れていた別の水路も、同じように家中川と合流したようだった。細く頼りなかった水路はもうすっかり一本の川になっていた。 その後、しばらく歩いていると家中川は再び枝分かれして、わたしたちがはじめに追っていた水路と同じくらいの細さになった。道路は下り坂になり、コンクリートでふたをされた奥を覗いてみると、川が合流地点に向かって勢いを増して流れ込んでいることが感じられた。そのまま川を追ってまっすぐ歩くと、中央自動車道のバイパスの登り口にさしかかり、左手に桂川が見える。川のまわりに生えている木々をかき分けて進んで行くと、桂川と家中川の合流地点にたどり着いた。 家中川を辿ったことで、わたしは水路が人の生活に深く関わっていることに気づいた。家中川は民家と道路のあいだを流れ、そこに住む人々は川に架けたちいさな橋のようなものを渡って往き来している。そんな光景は、水路が生活の近くになかったわたしには、見慣れないものだった。しかし、川に沿って歩きながらそのようすを眺めていると、水路が違和感なく人々の生活になじんでいるように感じた。あとで調べてみると、家中川と寺川は町中に水を引くために寛永13(1636)年から3年に及ぶ工事の末に完成した人工の川だという(※)。何百年も前から家中川は人びとの生活とともにあったのだ。都留で暮らしはじめて、水路が田に水を引く目的で利用されたり、野菜を洗うために使われていたりするところを目にした。これまで水路は、どのように使われてきたのだろうか。 何気なく目にしていた水路をきっかけに、歩いたことのない道を歩き、そこに住む人々の暮らしに触れることができた。 調べようと行動に移すことで、住み始めたばかりの都留についてすこし詳しくなれた気がする。ここで暮らす4年間のうちに、いろいろなものを見て、この町についてもっと知っていきたい。③桂川と家中川の合流地点※参考文献:都留市教育委員会編『目で見る都留市の歴史』/都留市/1991年
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