FN74号
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FIELD.NOTEれが、いつかは摘み取られると思うのね。  というのはね、子ども育ててみてね、そしてね、なんかこう、手が動いたり足が動き出すとね、子どもっていうのはすごくなにかをやりたがるのね、たとえばあたしがお茶を入れてるとね、自分でお茶を入れたがったり、そしてお盆にね、茶碗を乗せて持ってきたりするでしょ。ところが母親っていうのはさぁ、それこぼしたり壊したりすると困るから、それダメダメって止めちゃうじゃない、ね、だけど止めなかったらね、どんどん発達してくと思うのね、自分で何かをしたいっていうのはね、生来、根の中にあると思うのね。それをだんだん社会化されてくなかで危ないからとかなんだとかでだんだん規制していって、そのなかでそういうものをもしかしたら摘み|子どもたちの遊び|36(えんどう・しずえ)遠藤静江さん都留市出身。戦争時代を経験し、大学を卒業後、都留市で教員をしながら詩を書き、教員を引退後も服のリフォーム、油絵、染め物などをする活動家です。(撮影:前澤志依)「人生で何かを始めるのに、遅すぎることなんてないの」。今年で80歳になる遠えんどう藤静しずえ江さん(79)は言います。そんな多趣味で、経験豊富な遠藤さんに何かをするという意欲や行動力について伺ったところ、「私は子どものように、つねに生まれっぱなしなのよ」という答えが返ってきました。そのお話のなかで、都留の自然とともに生きてきた、昔の子どもたちの意外な知恵や暮らしをかいま見ることができました。取ってるんじゃないかと、私はそう思うのね。 うちのこの辺で育った子ども達見るとね、すごかったのよ。だけどたくましいの、その子達が。田んぼをスケート場や野球場に ある日授業参観があったのね。そして学校へ父兄が行ったら、この村の男の子っちがだーれもいないの。おかしいねぇっていったらば、消防の詰所ってのがあったの。冬になると夜回りするでしょ、カチカチってする、その人たちがそこで夜番をするわけ。そこのところが空いてたのね、鍵もなくて、そしたらそこのカーテン全部閉めちゃって、中にいるのがわかんない。そこで遊んでたの! 学校行かないで。そういうふうなこととか、だ生まれたモノのゆくえ あたしね、人間っていうのはね、生まれながらにして何かをしたいっていうね、衝動っていうかさ、そういうのあると思うのね。自分でしたい、自分が何かをしたいっての。そFIELD.NOTE

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