FN74号
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9久しぶりの鹿留川の川岸には、たくさんのオタマジャクシたちが泳ぎまわっていた。そのいっぽうで、一日中川岸にいても、親ガエルの鳴き声は聞こえてこなくなってしまった。全国的には8月までとされるカジカガエルの恋の季節だが、鹿留川のカジカガエルたちの春は、ひとあし早く終わりを迎えてしまったようだ。さみしさがこみ上げてくるとともに、来年の夏こそは、あの音が生まれる瞬間を見てみたいと強く思う。***今までの私の生きものへのアプローチの方法は、飼育して観察するなど、生きものをこちらに近づける方法ばかりだった。今回の経験から、こちらが生きものに近づいていき、彼らが自然のなかで生きる姿を観察することのむずかしさを知った。でも、そのむずかしさを乗り越えた先には、より生きものと近づく感覚がきっと待っている。都留のあふれる自然のなかで、生きものたちの自然のままの姿に迫っていきたい。今日は夕暮れ時をねらって鹿留川へ。双眼鏡をもって、遠くから石の上にカジカカエルがいないかを確かめながら歩いていく。すると、石の上に不自然なかたまりが……カジカガエルだ!よく見ないと本当に石のようで気づかない。近くの石にも4匹ほどのカジカガエルを発見した。背中を向けていたり、横を向いていたり、水面から頭だけ出していたり、みんなそれぞれいろいろな体勢をしていておもしろい。今日は少し遠くから静かに鳴くのを待ったが、結局1匹も鳴かなかった。しかし不思議なことに、川岸から引き上げて歩いていると、さっきまでいた方から鳴き声が聞こえてたり場所をかえたり、いろいろな作戦を考える。きっとそういう過程が、生きものとの出会いをたからものにしてくれるのだ。早起きをして鹿留川へ。おひさまの光が気持ちいい、でも少し暑い、そんな夏らしいよく晴れた朝。カジカガエルの鳴き声が、川の瀬音を突き抜けるように響く。涼やかながらも、「ここだよ、ここだよ!」と、瀬音に負けないように、熱くメスに届けと鳴いている声のように聞こえてくる。その音はけっして人間を楽しませるための音でなく、川の瀬音とともに生きていくための音なのだ。ふとあたりを見渡していると、偶然石の上にいるカジカガエルを発見。背中をあたためているようだ。「鳴かないかな」そう思って、じっと静かに鳴くのを待った。ところが、しばらく待ってもいっこうに鳴く気配がない。ぼーっとして見ていると、一瞬の隙に向きをかえて水中に飛び込んでしまった。きっと人間にはわからない、カジカガエル独自のタイミングがあるのだろう。きた。私の存在に気づいていたのだろうか。カジカガエルはよっぽど警戒心の強いカエルなのかもしれない。オタマジャクシは大きな口で流されないように石に吸い付く

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