FN75号
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29きることは少ないです」 小佐野さんはそう言いながら、二冊の本を私に見せてくれた。『南なんかくじんじゃし鶴神社誌』という本と『新編山梨県神社誌』という本だった。「この『南鶴神社誌』という本に、今のところ一番古い八面神社の写真が載っています」 小佐野さんが本を開いた。八面神社の古い写真が掲載されていた。奥付を見てみると、本の初版は昭和30(1955)年5月とあった。「鳥居は聖域への入り口です。その形は、宮司とその神社の氏うじこ子(共通の氏神が守護する地域に住んでいる人たち)の考えにもよって形が決まるそうですが、はたして八面神社ができた当初から、この形だったかと聞かれると、詳しく調べてみないとわかりません」 真相はわからなかったけれども、小佐野さんのお話を聞いたうえで、一つの考えが私のなかに浮かんだ。これはあくまで推測だが、八面神社の鳥居は「門」をかたどっているのではないかと思う。「門」は境界への入り口だ。同じように鳥居も、もともと聖域への入り口を示すものだ。八面神社を建築した当時の宮司や氏子たちは、そのことを意識したのかもしれない。 取材でわかったことは、見方を変えるということだった。鳥居についての疑問が湧かなければ、本や雑誌で調べることもなかったし、小佐野さんからお話を聞くということもなかっただろう。もちろん、鳥居についてすべてのことがわかったわけではない。八面神社の鳥居の成立についても、自分の考えでしかない。けれども、決まりきった見方をせずに、素直に疑問を持つということは大切だと感じた。今まで当たり前だと思って、ただ見ていただけのものはどのくらいあるのだろう。そういうものに対しても、違った角度から見るようにしていきたい。小佐野実著『南鶴神社誌』1955年5月15日山梨県神道青年会編 創立60周年記念 『新編山梨県神社誌』2012年10月31日八面神社の本殿。お祀りしているのは須すさのおのみこと佐之男命基本的な鳥居である明神鳥居(上)と神明鳥居(下)。額の後ろには額束という支えがある笠木島木貫柱台石額(額がくづか束)『南鶴神社誌』と『新編山梨県神社誌』。山梨県内の神社の情報が載せられている

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