FN75号
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みなのだという。お客さんが来たらすぐ気づけるようにと、部屋の扉を開けたままにしているようすからお客さんを大事にしている気持ちが感じられた。 イマヱさんがお店を始めたきっかけは、お子さんの学費を稼ぐためだった。開店当初、お店は子どもが十円玉を持ってやってくる駄菓子屋のようなものだったそうだ。そのあと、さまざまな年齢層のお客さんがお店に来はじめ、徐々に品数が増えて現在の食料品全般を売るようになっていったのだという。なるほど、そうやって鈴木商店は「食べもの屋さん」になったのか。学生アパート「うちには昔、学生さんが住んでたのよ」 鈴木商店は、かつて店舗の二階を下宿として学生たちに貸していたのだという。部屋は四部屋あり、本学の学生がおもに利用していたそうだ。イマヱさんは一階の商店を切り盛りしつつ、毎日学生たちにご飯を作ってお弁当を持たせてあげたのだという。 こんなふうに大家さんにお世話になって生活している学生は、今では珍しくなりつつあるのではないだろうか。イマヱさんの温かい思いやりに支えられて暮らしていた当時の学生たちが羨ましくなった。 私は学生用のアパートは本学のすぐ近くに建てられているのが普通だと思っていた。けれど、鈴木商店のような本学から離れた場所に地域の人が経営する学生下宿があったのだ。本学が出来たばかりのころ、校舎の周りは、畑や田んぼばかりで何もなかったのだという。そこで、都留市内にある民家やお店が空き部屋を利用し、学生用の下宿を始めたということを知った。当時、鈴木商店の周りにも学生下宿が立ち並んでおり、街は活気に満ちていたのだそうだ。 しかし時が経つにつれ、本学の近くにアパートが続々と造られるようになり、散らばっていた学生の生活拠点は本学周辺へと集まっていった。その結果、昔ながらの下宿が少なくなり、イマヱさんも下宿経営をやめてしまったそうだ。そして今の「食べもの屋さん」の鈴木商店が残った。学生のお客さんは減ってしまってさびしいが、近所に住んでいる常連さんとおしゃべりをしたり、週に一度娘さん夫婦がイマヱさんに会いにきてくれたりするのでそれなりに楽しい毎日だとおっしゃっていた。 かつては多くの学生が、イマヱさんのような人に支えられて暮らしていた時代があった。お店からの帰り道、私は店の前のひと気のない通りを見ながら、立ち並ぶ学生アパートや、にぎわう街のようすを想像した。きっと今より地域の人と学生の関係は密接なものだったのだろう。私のなかで都留の街を見る目が変わりはじめた。鈴木商店を訪れて、今住んでいる場所についてまた一つ知ることができた。そうして、都留という街に前より近づけた気がする。イマヱさんの優しい人柄にふれ、もっと都留での人と人の繋がりや昔にあったことを知っていきたいと思った。31

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