FN75号
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39岩間美千子(都留市中央在住)=文・写真提供はの遊びだった。この傾斜に台風の大雨で大きな水溜まりができたときには、筏いかだを作り、浮かべて遊んでいたという。なかなか引かない水に虫が湧き、体中を蚊に刺されたと聞いている。多少血が流れ出ようとも、「ペニシリンだ!」と、唾を吹きかけそのまま遊びに興じる。そんな時代の子どもたちの楽しい遊び場が「谷映跡地」であった。 余談ではあるが、本誌74号で益子邦子氏の言う「野良犬チョロ」は、前頁の益子氏の写真に写る白い犬で「谷映の飼い犬」であった。飼い主がいなくなった「チョロ」は夜になると、横町駅(現都留市駅)前に佇んでいて「まるでハチ公のようだ、可哀想に」と多くの人が言っていたそうだ。実際は、引っ越しのトラックに乗せたが飛び降りてしまい、どこかに隠れてしまったという。彼女は、魚うおくに国(*4)の飼い犬と恋仲になっており(写真に写るもう一匹の犬がこれか?)、「いつもまるで夫婦のように寄り添って浮世横町(*5)あたりを歩いていた。この地を離れたくなかったのだろう」とは谷映の長女談。多くの人に可愛がられたおとなしい犬だった。私の写真にも登場しているが、4歳くらいの写真から姿が消えている。「ヤエイ」の外壁を背に撮影された母との写真(昭和28年2月3日撮影)「ヤエイ」跡地に咲いたヒマワリの前で(昭和34年ころ撮影)【注】*1 谷村にあった映画館については本誌74号35頁を参照のこと。*2 昭和30年、「谷映」は神奈川県小田急相模原に移築された(谷映経営者の長女〈昭和14年生まれ〉からの聞き取りによる)。*3 昭和22年頃〜31年生まれ。*4 当時の谷村でもっとも大きかった料亭。現在の都留市中央2-3-18にあった。*5 谷映から魚国方面に通じる路地で、当時こう呼ばれていた。

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