FN75号
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41ツでも何でも一つのことをするっていうのはね。と、思いますね。学校での詩の取り組み 詩っていうじゃなくて、生活なの。生活が詩なのよ。どういうことかって言うと、子どもっていうのはさ、よくお花持ってこない?学校へ。お母さんがね、「これ持って行きなさい」って言ったからって。そうすると例えばさ、ネコヤナギがね、春になると出てきたりするでしょ。で、こう花瓶にね、花係が挿してくれたりするの。そうするとね、「うわあ」なんて言ってさ、私が。私の言葉で言うの。あれ、赤ちゃんのほっぺみたいだねえ、つるつるしてとかね。そうすると子どももね、共感するよね、「はあー」って。 そういうことをね、毎日気づかせてくの。外へ出てね、「ああ、風が吹いてきたあ」なんて言ってね、「わあ春が先生のポケットへ入っちゃった」とかね。そして今言ったのを言葉に置き換えるの。そして文字に書くの。その繰り返し。だから詩を書きなさいって書くんじゃないの。詩の時間じゃない、朝のホームルームとか、ちょっとのところで、やってくのね。 1人の男の子がね、教室のすぐ横が花壇になってたの、で水仙が咲いてるの、「先生ね、水仙が僕のほう全然見てくれない」って言うの。「ああそう、じゃあ会いに行ったら」って言ったのよ。そしたらね、下履きになって行って、水仙とこう向かい合ってね、「先生ね、水仙がね僕のほう向いたよ」って言う1932年11月23日生まれ。1989年まで小学校の教師を勤め、現在は詩・和服リフォーム・油絵など、地域を巻き込みながら幅広い活動をおこなっている。自身の行動力の源については、起きる時刻・寝る時刻・食べる時刻というように、リズムが定まった生活習慣と、人に言われて何かをするのではなくつねに自分のやりたいことに従って行動する姿勢だと語る遠藤静江さん(えんどう・しずえ)の。でね、「僕ね、ラッパみたいだったからね、内緒であれをね、吹いてみたかった」って。「アッ」てね。「良いことに気が付いたじゃん、それ今書いてごらん」って。その言った通りのことを書くわけ、その子が。そうすと、今度はだんだん私がね「あ、これ詩だよ」って言って、そこでこれが詩だっていうことを気づかせる。と、クラスの子どもたちが、だんだん、「あ、これ詩になるね」「これ詩になるね」とか、私が何かすると「先生それ詩になるでしょ」っていうふうに言いながら、詩になってくわけ。詩を作ってくわけ。 だから生活のなかからすくいあげるってそういうことなのね。暮らしのなかで。本当ね、子どもが感じてくれるっていうこと。感性だよ。感性を育ててくのね。写真右:詩画展によせて遠藤さんが書き起こした『序』左:詩友会の皆さん

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