FN76号
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2525『フィールド・ノート』50号/2007年6月21日発行特集1「つる発、水だより」・特集2「5周年、迎えました」水車の記憶を始め、水辺の生きものや、生活に欠かせない上下水道などを取材たことを書き留めた。(それと)同じことをやらないと、ここに書かれたことと対話ができない。だから、ちょっと不効率だけど、同じこと、あるいは類似したことを発見し直して始めて『フィールド・ノート』と対話ができるのではないかと思いました。 もちろん、情報としても充実していると思うんです。けれども、ここに何があります、誰がいます、ということよりも、自然だとか人びとと出会った皆さんが、何を感じたかっていうことと、その感じ方が私と同じなのかずれてるのか、そこに興味の焦点が移っていった、広がっていったということです。それが今の読み方ですかね。プロセスを読んでいる◆関心をもった記事や、とくに注目しているところはありますか? 一人ひとりの書き手が、自分の個性を出しながら無理に一般化しないで書いてるなって感じがします。プロセスが見えるものは、自分はどうか、ということと引き比べて読めるのでおもしろいですね。読者が自分の感じ方と皆さんの感じ方を比較して楽しむっていうことですね。たとえば、西(教生)さんの記事をいつも見ててすごい感心するんだけど、私自身、鳥は鳥としか認識できなくて、なかなか西さんの認識の高みに一緒に立てないのが残念だな、と。でも梅が華やぐ季節になって、(69号にあった)梅のあいだからジッとこちらを見つめるメジロの写真を思い出して、今年からは梅だけでなくそこに集つどう鳥にも目を凝らそう……とかそういう感じ方もあるわけなんです。 「きのこの記事」(次頁参照)なんかを読んでも、ふとした疑問がそのままほったらかしにされないで、ちゃんとある程度それを解こうとしますよね。でも分かんないことも残っちゃう。そのダイナミズムというと大袈裟ですけど、「分かんない」「それをもう少し何とかしたい」「ここまで分かったけど、これだけ積み残し」っていうそれだけで物語じゃないですか。その小さい物語がたくさんつまってて、そこにどうしても目が行く。それは一見、情報提供なのかもしれないけど、どこか

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