FN76号
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FIELD.NOTE26(2013年2月11日 本誌編集室にて)「秋の山を歩く─きのこから知る山のようす─」『フィールド・ノート』75号掲載/2012年12月28日発行前頁で触れた「きのこの記事」。交流会では田中さんからの問いに答え、執筆者の藤森さんが、取材動機や執筆を通して感じた自身の変化などをお話ししましたにそういうプロセスとか物語とかが読み取れるとこが魅力だなと思います。 決してプロが自然観察をした答え、アウトプットだけを読んでるわけじゃないですね。最初は私と同じだと思うんです。そこから「どう見えるようになっていくか」を、読もうという気になるわけです。田中さんの「まとめ」の読み方◆特集を組むさい、「まとめ」(特集を終えて)を考えていますが、どう読んでいますか? 皆さん「まとめ」って言いますけど、私はこれを読んでから(記事を)読み始める。「まとめ」じゃなくて、いつも「意気込み」みたいに捉えてて、「まとめ」とするのは無理だと思うんですよ。ここからこぼれるものも相当ある。これを読んで、皆さんがこういうふうにこの世界に入って行ったんだ、じゃあ読もうってなるでしょう。読者にとっては「まとめ」じゃないんですよね。 皆さんの「まとめ」が読者の始まりになるっていうか、読者に渡してくれるバトンのような存在。読者はそれを受け取って読むってことだと思うんですね。読者のまとめは、読者が││書かないまでも││して、次の自分の生活のなかに落としていく。そういう意味でどの時点でも「まとめ」じゃないけど、皆さんはとりあえずここでバトンを置く。編集者としての「まとめ」と読み手としての「まとめ」はずれるし、この世界で完結させることにこだわらなくていいんじゃないか、という意味で「まとめ」じゃないと言ったんですね。蓄積と、自分を知る回路◆今後、本誌に期待することがありましたら教えてください。 蓄積されたものを横につないでもらいたいな、っていうのがあります。『フィールド・ノート』のなかでかなり蓄積されてるもの、たとえば織物なら織物で(何度も)出てきたりしますよね。そういうテーマ別に通して読んでみたいな。 木のこともそうですし、農業はもちろんですし、テーマごとに通して読んだとき、どういう世界が見えてくるのかっていう興味はあります。期待することですね。同じかたが何回も同じことを取り挙げられるなかで、そのかたの「変化」だとか、あるいは逆に変わらないことだとかを拾えるのは面白いし、実験的にひとつやってみると良いかもしれませんね。時代の変化、書き手の変化、それを取り巻く地域の変化も見えてくれば素晴らしいですよね。蓄積を示す必要はあると思うんです。 それから、突飛に思われるかもしれませんけど、原発の問題を皆さんがどう捉えているのかなってのがずっと気になってて。これだけ自然や土と最前線で関わっているなかで考えないわけがないのに、あんまり出てこない、ですよね。戸惑いはあるわけでしょ? その戸惑いの表明までは許されるんじゃないですか。そういう書き方に期待しますね。 書きたいけど抑制しているんだとすれば、一回その抑制を解いてみたらどうかな、ってこと。書きたくないと思っているんだとすれば、なぜそうなのかも聞いてみたい。戸惑ってしまうのはなぜなのだろう、っていうのは自分を知るひとつの回路だと思います。FIELD.NOTE
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