FN76号
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31がだんだんと近づいてくるのは迫力があります。その音を手がかりに、今は何羽のヤマガラがどのくらいの距離の、どのくらいの高さにいるのか想像するのは楽しいものです。30分ほど待ったのち、1羽のヤマガラが手のひらにとまり、種をひとつ持っていきました。ひと指し指に残る、ヤマガラの足の爪のチクッとした感触がたしかに本当の出来事であったことを伝えます。工夫して待つことができたおかげで、身近な自然に隠された新たな交流の糸口を発見したようで嬉しくなりました。 日を重ねるうちに見えてくる個体差も興味深く感じます。いつまでも「ジージージー」と鳴いて、警戒しているのか寄ってこない個体もいれば、手のひらに置かれた種をくちばしで地面に落としながら、実の詰まった良質な種を選び取る余裕さえ見せる個体もいます。 あるヤマガラは、遠くの木立のあいだを勢いよくとおり、手に置かれたヒ手のひらに置いたヒマワリの種をとるヤマガラマワリの種を目がけて一直線に飛んできました。そのさいに、こちらが思わず視線を動かしてしまっただけで、そのヤマガラは手にとまる寸前に身をひるがえし逃げていきました。こちらのわずかな瞳の動きさえも、注意深く見ているということでしょう。 今回の経験は、ひたすら待つことから始まりました。その「待つ」という姿勢はどうあるべきか。アカネズミやヤマガラから少しずつ学んでいるところです。その先にうっすらと見えてきたことは、彼らは想像以上に、こまかく厳格に人間を見ているのだろうということです。 そのため、こちらは相手がとらえている世界に身を寄せるよう努めなくては、と感じています。待つことは、彼ら小さな生きものに、その限りのない努力をわずかながらでも伝えることのできる手だてのひとつなのです。31
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