FN76号
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33した。まさに土、といった匂いが辺り一帯に満ち満ちていたのが印象深い。石や堆積している落ち葉で足元は不安定だけれど、足元を見ているだけでは駄目だ。あらゆる方向から生えている蔓や枝が服に引っかからないように、いろいろなところに目を向けて注意していなければならない。 結局、その日サンショウウオは見つからなかった。それでも歩いたことによる気だるさの残る充足感のほうが勝り、サンショウウオが見つからなかった残念な気持ちを吹き飛ばした気がする。過程から楽しみへ  歩くといっても、ただコンクリートに舗装された道を進むということだけではないのだ。 高校生のころの通学は自転車で、歩くということはほとんどなかった。何かに目を奪われながらゆっくり歩くことも、そこに新鮮さや楽しみを見出すこともなかった。私にとって歩くことは、目的地にたどり着くための手段でしかなく、ただの過程だったのだ。けれど、都留に来てからその考えは変わりはじめた。時間があるときにはゆっくり歩き、前方以外にも目を向ける。見るべきところは上下左右たくさんある。歩く楽しさに気づいたきっかけは、高校生のころには歩いたことのないようなところを歩いたことから。まったく同じ時間にまったく同じ場所を歩くということはない。いろいろな変化に気づく場であり、毎回がそのチャンスなのだ。今まではずっとその機会を逃していたのかもしれない。そう思うと悔しい気持ちがしつつも、ただの過程ではないこと自体を見つけられたことが嬉しくもあるのだ。これからはこの気づきを活かさない手はない。 歩く楽しみを感じ取れるようになったから無意識に歩数が増えたのではないだろうか。いままでの万歩計の記録にはその変化した自分が凝縮されている。「万歩」にはまだまだ遠いけれど、自分なりにもっと歩いていきたい。だからといって無理矢理に歩数を伸ばそうとするのではない。歩数や意識の変化をじっくりと見ていきたい。楽しみに気づいたからこそ、これからまた変わるものがあるのではないかと期待している。(2013.1.22)アパート前の道路。降ったばかりのときとは違って、雪の表面が固まっていた。踏み出した足が埋まるまでに時間がかかり、降りたての雪とは違ったザクザクとした感触が面白い。(2013.2.13)中屋敷フィールドへ下っていく坂道。数字と同じように、足跡の一つひとつも自分の歩みが目に見える形になったものだ。(2013.2.23)細野川上流の沢への道。日当りのよいところはほぼ溶けきっていたが、日中も木の陰になりやすいところには雪がずいぶんと残っていた。別符沙都樹(国文学科1年)=文・写真・イラスト

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