FN76号
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7で繋がるとは思ってもみなかった。 堀内さんの家のお稲荷さんは豊川稲荷を勧かんじょう請したもので、家を建ててから2、3年後、友人の勧めで祀ったそうだ。30年前に今の立派な社になり、それまではまだ小さかったという。太田さんの家のように神棚から外に移したわけではなく、最初から外で祀っていたそうだ。扉のなかにあるものもおたま石ではなく、狐にまたがった神様のつかいだという。お正月に、木の箱に入れた神様の使いを持って愛知の豊とよかわかく川閣を訪れ、お経を唱えてもらうそうだ。そうすることで魂を入れるという。かたちは違えど、魂を祀るという部分は各家で共通しているのだろうか。堀内さんは、祀った以上ちゃんと先祖代々受け継いでいかなければいけないとおっしゃっていた。ちゃんと祀ればいろんなお願い事を聞いてくれる。堀内さんのお孫さんは夜泣きがひどく、どうしても泣いて困るときには名前と住所を言い、油揚げをお供えして泣かないようにとお願いするそうだ。そうするとそのときは本当に泣かないで大人しくしているという。そして、必ずお礼をするそう。おろそかにすれば悪いほうに動くこともあるという。初はつうまさい午祭とお稲荷さん 太田さんによると各家によってお寺や、祈願の仕方が違うが、二月の初午の日にお稲荷さんのお祝いをするのだそうだ。都留市郷土研究会の会長である内ないとうやすよし藤恭義さんにも初午祭のことをお聞きしたところ、緑、黄、赤、白、青の五色の紙でつくった幡はたを奉納して祈願するのが習わしだと知った。 2月9日に西凉寺の儀ぎしゅういなり秀稲荷で行われた初午祭に行った。行ってみたはい初午祭からの帰り道に見つけた大きなお稲荷さん。しっかりと鳥居がある。五色の幡が奉納されて、何人もの人の名前が刻まれていた湯呑みが置いてあるものの、扉のなかには何もなかった。狐もいない円通院付近で見つけた。社は屋根から台座まですべて石でできているいもののどうしていいかわかない。本堂の右脇から人が歩いてくるので行ってみることにした。儀秀稲荷社と書かれた石碑の横に階段があり、それを登ると鳥居と社があった。社の左側には奉納された五色の幡がガサガサと音を立てながら風に揺れている。お賽さいせん銭を入れて神社に参拝するのと同じように手を合わせた。しかし、参拝に来ていたご婦人にお話を聞くと、お願いをするのではなく、日ごろの感謝をするのよと言われ、少し恥ずかしい気持ちになった。 初午祭からの帰り道、西凉寺から円通院、長安寺、谷村工業高校の裏門へと続く道のりのなかでいくつものお稲荷さんを発見した。ひとつは、家庭で祀るにはかなり大きなもので、一族で建てたものなのか、地域で建てたものなのかはっきりわからなかった。格子状の扉が閉められていたが、なかをのぞくとちゃんと狐がいる。その通りを通っても今まであまり気がつかなかったのに、その日だけで八つものお稲荷さんを見つけたのだった。家と家の細い路地の向こうで、庭の端や角で、ひっそりと、どこか神聖な雰囲気を漂わせているお稲荷さん。すべて石でできた社も見つけた。そして、開いた扉の奥に何もない、社だけのお稲荷さんもあった。昔はそこに神様がいたのだろうか。古びた社だけが残されているその光景はどこか寂しいものだった。7

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