FN76号
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9 いまだに手作業でなければできないこともある。そういうものは手間暇がすごくかかり、採算がとれないからみんなやらないという。「でも、それやっちゃうと今度は、できる人がいなくなっちゃっているのよ、今。だって継承されてないから」。そうして技術は継承されず、廃れていく。そういう価値をわかる人が少なくなり、そこに価値を見出す人がいなくなったのだとおっしゃる。「それが恐ろしいことだなあと。このままじゃつくれる人いなくなっちゃいますよ」。佐藤さんはこういった現状に憤りを感じているようだった。それでも「まあ、そうはいっても日本人……日本の文化は廃れないんじゃないかなとは少し思ってますけどね」とどこか希望を抱いているようでもあった。「継ぐ」ということ お稲荷さんは農業の神様だと聞いたことがあったけれど、どうやらそれだけではなかった。太田さんも堀内さんもお稲荷さんは家内安全・商売繁盛を願うものであるとおっしゃっていた。堀内さんはご先祖様を一緒に祀ることはできるけど、神様でも仏様でもないとおっしゃる。内藤さんにお話を聞いたときには、屋敷神さんとしてお稲荷さんを祀るのだと教えていただいた。それならば、どれが本当なのだろう。そう思って答えを見つけようとしていたけれど、きっとどれも本当なのだ。信仰は人の心のなかにあるものだし、人から人へと変化を遂げながら伝えられていくものなのだから。 その変化のなかで不変なものが、継ぎ、継がれていく芯の部分なのだろう。どうして継いできたのか、大切にしていきたいのか、それは受け取る人によって違うかもしれないけれど、継いできたという事実がその目に見えないものを表しているような気がする。古びた社だけが残された光景を寂しいと感じたのは、そこにあるべき人の心がなかったからなのかもしれない。お稲荷さんは人々の心がかたちになったものなのだ。 そして、職人さんが技術やその精神を受け継いでいくことも同じだ。佐藤さんが自然な流れのなかで仕事を継いだのは、佐藤さんのお父さんや、ほかの職人さんたちが言葉にしなくても、ものをつくる姿から佐藤さんが受け取った目に見えないものがあるからだろう。それでも、ものをつくるうえで大切にする想いは佐藤さんのお父さんたちと変わらないのだと思う。だから佐藤さんがつくるものは、佐藤さんが受け継いできた技術、知識、精神がかたちになったものだ。 お稲荷さんを祀ること、職人として納得のいくものづくりをすることは、先代の大切にしてきた想いを受け取り、その想いをかたちにしていくことなのだ。右:扉や引き出しの木目が左右対称であるかのようにそろえてある左:木の優しい色とぴかぴかの屋根。赤色ではなくても目を引く9

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