FN77号
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no. 77 Jun. 201316 紹介されたお宅の前まで来たが、呼び鈴がない。横開きの戸には鍵が掛かっていなかったので、ちょっとだけ開けて「ごめんください」と呼びかけてみる。と、ぱたぱたと足音がして、小さな女の子が出てきた。こちらをじっと見つめてくる。「誰かおうちのひとはいないかな。おじいちゃんとか、おばあちゃんとか……」と訊くと、女の子はなんにも言わず奥に戻ってしまった。だがすぐに、おばあさんと一緒に戻ってくる。呼んできてくれたようだ。事情を説明しだすと、何だなんだ、とおじいさんも顔を出した。 女の子が「どーぞ」と持ってきてくれた座布団に座り、玄関先でお話を伺うことになる。おじいさんは生まれも育ちも夏狩で、現在70代だそうだ。「あ〜ほんとだ、ここに夏狩ってあるなあ」。『郡内の民話』を受け取り、眼鏡をかけて早乙女塚の物語を読むおじいさん。「早乙女っちゅうのは知ってるよ。だけんど、ここらへんでは『そーとめ』っつって、男が田植えしてたんだ」。夏狩では田植えの時、女性はお茶出しをしていたとのことだった。 「『長者』ってあるけんど、俺が知ってる限りは、そんなおっきな田んぼ持ってるひとはいなかったなあ」と、こちらも引っかかるようだ。おじいさんとお話をするうちに、物語はいつぐらいのものなのか、そもそもほんとうに早乙女塚はあるのかという疑問がわいてきた。「まあ、書いたひとに聞いてみるが一番いいかもしれんな」。そうですね、と私は答え、筆者の内ないとうやすよし藤恭義さん(81)に会いに行くことにした。地図を探す 後日、内藤さんのもとを訪ねる。経緯を説明すると快く質問に答えてくださった。お話によるとやはり、そのような事実があったかどうかは分からないという。時代としては江戸時代以降だそうだ。内藤さんが調査したところ『郷土誌(旧東桂村)(2)』に早乙女塚関連の記述があり、東桂駅のすぐそばにある東桂変電所が塚のあったとされる場所のようだ、とのことだった。 ただ変電所そのものを見に行っても仕方がない。東桂駅周辺の古い地図を手に入れて、今と昔のようすを見比べてみよう。そう考えた私は、明治時代の地図がある、都留市立図書館へ向かった。見せていただいた地図は明治21年測量のもので、隅には「貴重書」のシールが貼られていた。慎重にコピーを取らせてもらう。これ以上古いものとなると絵図になってしまうそうで、正確で詳細な情報が得られる地図のなかでは、最も古いものだそうだ。手に入れた地図を広げ、目的地の変電所周辺を見てみる。明治21年の時点では一面田んぼの記号だ。なるほど、これは早乙女塚のお話に即しているぞ。いまも物語の面影はあるのだろうか。とにかく、行ってみないと分からない。明治21年測量、同24年製版・出版の「二万分一地形図」(一部抜粋)。右上から左下にかけて横断している道が現在の国道。富士急行線は当時まだ開通していなかった。図面右上が東桂駅周辺。あたりは一面田んぼの記号だ

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