FN77号
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17地図少し離れた場所から見た変電所のようす。家々が建ち並ぶなかに鉄塔が見える139★訪ねた土地マップ紐解くとき 4月28日、東桂駅まで向かう。国道をひたすらまっすぐ進んでいく。途中から坂が険しくなってきたので、自転車を押して歩いた。12時半、駅に到着。内藤さんのお話通り、変電所はすぐそこらしい。駅からでも鉄塔の頭が見える。 5分も経たず変電所に着いた。民家にぐるりと囲まれている。むしろ、変電所のほうが民家のあいだにむりやり押し込まれたように見える。柵の向こうに目を凝らす。早乙女塚の跡らしきものは確認できなかった。近所のかたにお話を伺おうと周辺を歩きまわるが、あいにく、そとには誰もいない。 なんだかがっかりした気持ちで駅に戻り、そとのベンチに腰掛けて明治時代の地図を広げる。地図と現在のようすとを見比べてみると、まちの変化の大きさに、改めて驚かされる。125年も経っていれば当然なのかもしれない。 しかし、ふと思った。明治時代の地図が記録としてまちの風景を残してくれていたから、早乙女塚があったかもしれない景色を想像できた。ここには見渡す限り田が広がっていた、そんな時代が確かにあったのだ。それはこの地図を見なければ分からなかったことだ。 地図を持ち民話の地を訪ね、じっさいに自分の目で確かめてみる。すると、物語がまったくのでたらめではなく、根拠をもって生まれ、語り継がれてきたことを感じた。一見すると民話の地とは分からない場所へ行ったときも、昔の地図と見比べることで物語の面影を感じ取ることができた。 訪れた土地と土地は私のなかで繋がって、私だけの地図となる。歩き出すまえは道に迷わないか、帰って来られなくなるのではないかと不安だった。しかし、ひとりだと思っていた道のりには、ひととの出会いが待っていた。そして、地図は広げるたびに心強い相棒となっていった。 地図を持って歩くことで生まれる発見がある。そのことに気付いたいまは、地図と民話から見えてくる、私が知らない都留の姿にわくわくしている。

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