FN77号
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21 志村さんによると、この絵図はほかの資料とともに代々古渡地区に引き継がれてきたものだという。以前は絵図について知っている人がおられたが他界されてしまい、いまでは詳しく知る人はいないのではないか、ということだった。 そういえば、志村さんも押し入れを開けるとき、「どういうものかよく分からないけど……」とおっしゃっていた。それだけ長い時間が経過し、生活のしかたも大きく変わったということなのか。山と人との関係が薄れるにつれ、絵図は存在意義を失って、いよいよ詳しい由来が忘れられかけている。絵図が抱える課題 志村さんは過去に、古いものはよく分からないから処分してはどうか、という声を耳にしたことがあるという。もし仮に処分されてしまえば、地域史を考えるうえで大きな損失になりかねない。いろいろな意見があるなか、絵図を始めとする資料が代々自治会に引き継がれてきた現状に安堵するばかりだ。 ただ、処分してはどうかという意見も理解できなくない。そこには、由来や価値が不明なものを持ち続けることへの煩わしさや懸念が読み取れる。現在の生活のなかで役割を果たさなくなった以上、文化財という色眼鏡をはずせば、その「モノ」を持ち続けることに疑問が出るのはむしろ当然かもしれない。またいっぽうで、この絵図に資料的な価値があるのも間違いないだろう。 地域に伝わる資料や文化財が抱える課題が、志村さんの耳にした声のなかに潜んでいるような気がした。*  *  * 古渡の絵図が明らかにするのは、たんに村々のあいだで諍いさかいが起きていた、という事実だけではない。山と人との密接な関わりや、ときには論争に発展するほど厳格だった入会山に対する姿勢。そしてなにより、対立するものどうしが折り合いをつけたことを絵図は示しているのだ。たとえ、折り合いの内容が役人の決めた裁許であったとしても、役人を含むすべての人の苦労が図面に圧縮されているかのように感じられる。 そんな絵図と古渡とをつなぐ縁の糸は、日ごと細くなりつつある。しかし、「モノ」の由来が少しでも明らかになれば、関係はしだいに修復されていくのではないか。すでに分かっている事実や研究成果をもっと丹念に解きほぐすことで、きっと資料は一つの記録として存在意義を回復できる。 私は古渡の絵図から土地の来歴を学ぶとともに、地域に伝存する資料が課題を乗り越えていく、その道筋を思い描くことができた。サンパーク都留グラススキー場周辺から見た鹿留山方面(写真=北垣憲仁 2013.05.10撮影)地図牛丸景太(国文学科4年)=文・写真

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