FN77号
27/48

27谷たにの町・史ふみの里谷村にあった映画館のこと ③ 「ヒロバ」での遊び     その後の「谷ヤエイ映」(2)│谷村にあった映画館のこと│ として二人のかたに記憶を綴っていただいた「谷映」。岩間美千子さんによる聞き取りと資料収集に基づく紙上での再建です。 私たちに最高の遊びを提供してくれた「ヒロバの傾斜」が無くなったのは昭和36年頃。ヒロバには車庫が建ち、子どもたちの足が少しずつ遠のいて遊び場としての役割を終えていった。 映画館としての営業はわずか数年。建設後5年ほどで姿を消した「谷映」は、その跡地で遊び育った私にとってミステリアスな存在である。その建物は、トタン屋根の木造一階建て、とはいえ当時の二階家よりも高さがあり、外壁はモルタル(*1)。屋根にはスピーカーが設置されていた。 おもに大映の作品を上映していて、収容人員100名ほど。入り口を入ると正面に白い壁があり映画のポスターが貼られていた。壁の左右にある黒っぽいカーテンの向こうに5人掛けの椅子が並ぶ観客席。映写室は客席後方にあり、専用階段が設置されていた。入り口の左側にはモギリ用の移動式カウンターがあり、右側に赤いレザーのソファーが置かれていた。売店では菓子パンや袋菓子、アイスキャンディーが売られていたという(*2)。 私と益子氏の手元にある写真の背景として写る「谷映」。『郡内研究第6号』の「谷村座と若松館」に掲載されている写真。羽田綾女氏蔵の昭和26年頃の八朔祭りの写真。これらの写真と当時を知る人の「谷映の記憶」を交えて「谷村映画劇場の姿」を探ってみた。(注)* 1・本誌75号39頁参照。* 2・谷映経営者の長女からの聞き取りによる。* 3・http.//agua.jpn.org/ lm/c319.html岩間美千子(都留市中央在住)=文・絵成瀬洋平(本学比較文化学科卒業生)=絵なお、「谷映」にまつわる情報をご存じのかたは、本誌『フィールド・ノート』編集部までお知らせください。『郡内研究第6号』(1996年)─「谷村座と若松館」─中央が谷村座、右奥に写るのが谷村映画劇場。『郡内研究第6号』には谷村座と若松館、撮影は昭和33年頃とあるが、今回の聞き取り調査から若松館は谷村映画劇場に、撮影年は昭和25年~30年にすべきと考える八朔祭りの集合写真(羽田綾女氏所蔵)背後に谷映の屋根と上映作品の看板が写る。上映作品は、『銭形平次』。出演者は、長谷川一夫、日高澄子、三條美紀、佐々木小二郎とあり、昭和26年4月28日封切りの作品であることが判る(*3)

元のページ  ../index.html#27

このブックを見る