FN77号
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no. 77 Jun. 201336そ蚕への感謝を忘れず、また人々は声をかけあい、歩んできたのだ。そして、その象徴が蚕影山でおこなわれてきた祭りである。これまでは、4月16日に蚕影山で祭りをおこなっていたが、最近は4月の第2日曜が一年に一度の集いの日となっている。「こんぼうまつ」 与縄地区の蚕影山を一緒に案内してくださった朝あさ日ひ馬ば場ば地区の清し水みず一かず夫おさん(64)から、毎年5月5日には、朝日馬場地区にある蚕影山で祭りがあると教えてもらった。まだお菓子がたやすく手に入らなかった、清水さんの子ども時代は、お菓子目当てに子どもも祭りに参加していたという。ただ、養蚕が衰微した今、祭りを担うのは毎年交代の当番役の神様を祀る蚕影山都留市の旧5町村を巡る(5)旧盛里村蚕地域で励ましあう生なりわい業 蚕の神様を祀ってある山を蚕影山と呼ぶ。本来の山の名前とはべつに、そう呼ばれているようだ。 4月21日、訪れたのは旧盛里村与よ縄なわ地区の蚕影山。ここは都留市でも有名なところである。西国三十三観音信仰に由来する三十三体の石仏が山の入口から頂上にかけて設置されているからだ。石仏の前を一体ずつ通り抜け、登って行くこと約10分で開けた場所に出る。そこに、蚕の神様を祀った祠と小屋があった。養蚕を営む人々は、一年に一度、蚕影山で養蚕の発展を祈る祭りをおこなっているのだ。 この祭りについてお話をしてくださったのは、与縄地区に住む臼うす井い昌まさ重しげさん(78)。蚕の供養と感謝をし、養蚕の発展を祈願することが祭りの目的であるという。それともうひとつ、養蚕を営む家庭が大半を占めていたため、互いに励まし合う機会としてきたこともわかった。 「(祭りは)人間が生活をするための糧」と臼井さん。養蚕が生活に根付いた仕事であり、それが地域全体での取り組みであったからこ朝日馬場の蚕影山の祭りのようす。石でできた祠が蚕の神様1954年4月29日、旧谷やむら村町まち、宝たから村むら、盛もりさと里村むら、禾かせい生村むら、東ひがしかつらむら桂村が合併して、都留市が誕生した。「都留市の旧5町村を巡る」では、各地域を渡り歩き、気になる人やモノから、その地の風土を探っていく。最終回は、養蚕の成功と発展を祈り神様を祀ってある山、「蚕こかげさん影山」がテーマ。蚕影山信仰は、養蚕を営んできた地域では全国的に浸透しているもの。旧盛里村にある蚕影山から、過去の信仰の姿と現在の関わりを見つめてみた。(5)盛里村明治8(1875)年に、旧朝日曾雌村、朝日馬場村、与縄村の3ヶ村が合併して誕生。村名は、村勢の繁栄を願ってつけられた。旧宝村旧禾生村旧谷村町旧盛里村旧東桂村都留文科大学与縄の蚕影山朝日馬場の蚕影山

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