FN77号
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37の人くらいだ。 5月5日、今度は朝日馬場の蚕影山を訪れた。与縄地区の蚕影山もそうだが、地元の人に案内されない限り、どの山が蚕影山で、どこから山中に入っていけばよいのかわからない。朝日馬場地区の蚕影山は、地元の人にはこんぼうまつと呼ばれている。蚕影山と呼ぶよりは、こんぼうまつと親しまれているという。 いつから、どのような雰囲気の祭りがおこなわれるのだろう。そう思いながら、10時過ぎに清水さんと蚕影山へ歩く。石船神社の近くで出会った地元のかたたちが山の中腹を見上げ、「幟のぼりが立ってるね」と言う。よく見ると、緑のなかに白い線が見えた。それを確認したのち、近くに集まっていた10人ほどの人たちと山を登る。5分もしないうちに目に飛び込んできたのは、麓で見た白い旗と、料理やお菓子を振る舞う地元のかたがたや参拝者など、20人ほどの人。奥には石で作られた祠があった。地元のかたがたと同じように、お神酒やお赤飯、お菓子などをいただきながら、蚕の神様に手を合わせた。昨年は当番役の人くらいしかいなかった祭り。今年は偶然にも、子どもからお年寄りまで多くの人が集まったようだ。 はじめは、地元のかたがたの集いに突然参加することに遠慮があったが、みなさん優しく接してくださった。お参りが済んだら、すぐに山を下りる人もいれば、シートを敷いて談笑する人の姿も見られた。地域固有の文化を受け止める   蚕影山の祭りのなかから、おそらく本来の目的である蚕への感謝や成功を祈願すると﨑田史浩(本学社会学科卒業生)=文・写真朝日馬場の蚕影山に立てられていた幟。蚕の字が「神の虫」となっている蚕の神様の祠。お賽銭や米、お神酒が置かれている▶いう姿勢は薄れているだろう。けれど、外から参加した私には、一年に一度蚕影山のもとに集まりお参りするひとときが大切な時間に映った。蚕影山には、個々に留まることのない地域全体で共有されていた養蚕への心が宿されている。盛里の歩みが、養蚕とともにあったことをうかがい知ることのできる貴重な風習である。この風習は、先人の暮らし、ひいては地域そのものを支えてきた養蚕を理解し受け止める意味をもつのではないだろうか。今は本来の意味が込められていなくても、地域の人が身近な風習に目を向け続ける限り、地域の文化を語り継ぐ方法はたくさんあるように思える。また、私たちが受け止められることも数多くあるだろう。 その地域の人にしかわからない信仰やその対象はきっと数多くあるだろう。そこには、私たちがその地域の「個」を知るかすかな手がかりがある。今も残る蚕影山への集いは、地域の文化を肌で感じ取れる機会なのだ。

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