FN78号
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ね、Kちゃんばっか相手にしてられないんだよって言ったら「おれな、お母さんが死んでからな、おばあちゃんに育てられてこういう性格になった」って言うの。だから、あらKちゃん、じゃあ学校では先生がお母さん替わりしてやろうかって言ったら「ううん、もうお父さん後妻もらうからいい」って言ったの。 それで私、これほんとの話かしらと思って、職員室へ行って、先生がたにKくんってさ、お母さん死んで、おばあちゃんに育てられてるって本当と聞くと(先生がたが)「そうだよ」って。お父さん再婚するだっていうじゃないって言ったら先生っちが「先生それどこで聞いた?」って言うから、だって授業のときそう言ったよって言ったら「そういう身の上話を子どもがする?」って。だってしたんだもの。Kちゃん私にしてくれたよ。2、3分だけど。そういうふうに言った。理解し合うこと だから、先生たちもびっくりしたらしいの。子どもが自分の身の上を、そんなところで打ち明けて話すって考えられなかったのね。 やっぱり先生っていうのはいつも「先生です」って一段高いところにいて、「おまえたちは……」っちゅう感じなのよね。それが、ある程度目線を同じにして、理解し合うっていうことによってものすごく違ってくるの。 そういうことをつくづく中学(に勤務)しながら教えながら、私は学んだ。 人間ていうのはやっぱり、理解し合えるのよ。だから、いろいろな問題が起こってるでしょ。今も。だけどそういうね、理解し合うことが足りないんだと思う。子どもどうしでも、ふざけ半分が本物になっていじめになったりするでしょ。だけど、昔だってあったけど、理解し合えないのね、今の子どもたち。で、生活のなかで理解し合えない状態があると思うのね。昭和7年11月23日生まれ。平成元年3月まで小学校の教員を勤める。その後、都留市周辺の小中学校で非常勤講師を66歳まで勤める。国語と家庭科、図工をおもに担当する。遠藤さんにとって教員生活とは、「人間関係のなかで自分を育てる」こと。写真は遠藤さんに中学生からもらった色紙を見せてもらったときのもの(2013.07.24)遠藤静江さん(えんどう・しずえ)41……(略)……卒業というなぎさではせつない程人間を素直にする教えるものと教わるものがかたちをこえて結び合う今、わたしの手許では巣立って行った子ども達の未来のように真紅のばらが少しずつ開いていく巣立って行った子ども達の夢のようにピンクのばらがありったけの大きさに花弁を広げた机の引き出しの中では子どもからのメッセージがわたしを励ます「先生いつまでも青春してね」  ̶̶遠藤静江「産休補助教員 Ⅱ 卒業」より

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