FN78号
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no. 78 Aug. 20138物言わぬ  彼らの言葉ミヤマセセリの標本(中央)大学から見える三ツ峠山第21回標本には多くの情報が詰まっています。いかにして、それらに気づけばいいのでしょうか。過去に作られた標本が、現在に語りかけるものとは何でしょうか。「1958年2月10日 三ツ峠」 本学の標本室で見つけたホシガラスの剥製のラベルには、このような記載がありました。三ツ峠山は都留市の西端にある山で、大学からよく見えます。三ツ峠山では1970年代までホシガラスの記録があるものの、現在は生息していません。何らかの理由により、三ツ峠山には住めなくなったのでしょう。ホシガラスの生活史を知っている人なら、まだ寒さの残る3月には抱卵に入り、子育てのときは秋に貯えた木の実をヒナに与えていたに違いないと考えます。3月といえば里ではウメの花が咲いてフキノトウが顔を出すころ。そんな時期にあの寒い山の上ではホシガラスが子育てをしていたのかと想像するわけです。 ホシガラスに関心のある僕にとって、この剥製はとても重要です。なぜなら、三ツ峠山にホシガラスがいたことを示す確かな証拠になるからです。富士山では年間を通してホシガラスが生息しています。もういなくなってしまった三ツ峠山と、いまも生息している富士山の違いを調べてみたら、ホシガラスの好む環境を知ることができるかもしれない。そんなことを思い起こさせる剥製です。 いまから約30年前の楽山(大学周辺)で採集されたミヤマセセリの標本もありました。採集地の植生の記録は残っていませんが、ミヤマセセリがいたことを考えると、コナラやクヌギが生えている明るい林だったのでしょう。早春に出現するこのチョウは、いまも大学の周辺で見られます。つまり、ミヤマセセリから見た環境は、約30年前とそれほど変わっていないのかもしれません。この標本は、当時の植生を知る手がかりにもなります。

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