FN79号
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19出会いをかさねた先に生きものたちとの出会いのほとんどが限られた一瞬であるように、山や森全体の変化も緩やかで、一目では捉えることができません。どちらも気長に接点をもちつづけ、機が熟すのを待つことが大切です。だから私は、小さな出会いや経験をノート(野帳)に書き留めています。それは私にとって生きものを知るための種子なのです。条件さえ整えば、いつでも芽吹くことができるよう、野帳のなかで来るべき日を待っているのです。生きものに近づくとは、どれだけの経験をかさね、彼らの暮らしのさまざまな場面を想像できるかというところにあるのではないでしょうか。ただ、どれだけの出会いをかさねても、私たちが「知らない」ことばかりです。そんな自然の懐の深さ。それが出会いをつねに新鮮なものとしてくれていると同時に、私がうら山という場所にかよい続ける源泉となっているのだと思います。と午後のあいだずっと草原に寝転んだり(このときは結局会えなかった)、ウシガエルを観察しようと朝から夜遅くまで池の前に立ち尽くしたりしていたといいます(H・D・ソロー著、山口晃訳『ソロー博物誌』彩流社、2011年より)。私は同じ条件、つまり夕方にスギ・ヒノキの林にかようことで、数週間越しにリスとの邂逅を果たすことができました。飛び立つカケスの羽音やシルエットを、なんどリスと勘違いしたかわかりません。しかし些細な音や残像に反応するほど、感覚を研ぎ澄ませて、生きもののことを待った経験はこのときがはじめてでした。この出会いをきっかけに、うら山のほかの場所で彼らに会うにはどうしたらよいかと考えるようになりました。まずは食痕をさがしたり、巣をさがしたり。そうしていると自然に、新しい食痕の多いところ、つまりリスが頻繁に来ているであろう場所がみえてきました。あとはそこへかようのみです。すると、ほどなくリスとの出会いをたのしめるようになりました。足を運び、小さな事実を積みかさねていくことで、おのずとリスとの約束の場所が見えてきたのです。始終を想像することができたからです。ドングリを始めとした木の実の豊凶のほかにも、渡り鳥の渡来日や個体数、山に暮らす動物の変化など。同じ場所に足を運びつづけることで、経験から経年の変化を読み取ることができるようになってきます。歩きながら考える生きものとの出会い方2009年9月のうら山。私ははじめてリスと出会いました。日が傾き暗くなり始めたスギ・ヒノキ林を歩いていると、リスが2頭、追いかけっこをしているところに遭遇しました。枝をつたい木々のあいだを軽妙に駈け回り、時折ジャンプして隣の幹に飛び移ります。ほんの数秒の遭遇でしたが、私はその姿に魅了されたことを思い出します。そのとき「もっと姿を見たい」と感じたのは、私にとって自然なことでした。手がかりは、たった一度の出会いのみ。そのときの私が考えうる出会い方といえば、まったく同じ条件でそこにかようことしかありませんでした。H・D・ソローはその昔、キツネに会おう(※)ツキノワグマは樹上で木の実を食べるさい、枝を折りながら木の実をかき集める。折った枝をどんどんお尻に敷いていくため、一見、鳥の巣のような痕跡ができる。これを「クマ棚」、「クマの座布団」などと呼ぶ。ぜひ観察してみたいシーンのひとつ。カケスの羽ツタウルシの紅葉

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