FN79号
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no. 79 Dec. 201342一本の道をじっくり歩きながら、土地の歴史や民俗を探求する。それが、「富士道を歩く会」だ。昨年5月に大月市を出発し、目指すは富士吉田市の「北口本宮冨士浅間神社」。毎回3時間ほどを目安に、案内役の都留市郷土研究会の皆さんと古道を辿っていく。今回は江戸時代に出版された『富士山道しるべ』から富士道に迫ってみたい。いまから150年以上前の「ガイドブック」には、沿道の地域がどのように描かれているだろうか。じっさいに手にとって、書物のなかを探検してみよう。2013をく案内記が捉えた地域の姿 『富士山道しるべ』が刊行された万延元年は、60年に一度めぐってくる富士山ご縁年の年。この年に登拝すれば、1回で33回分のご利益が得られるとされている。そのため、ご縁年はとくに参詣者が多く、本書はその需要を見込んで刊行されたようだ。 冊子は縦11㎝・横16㎝と小ぶりなサイズ。内容は、簡潔な文章に淡々とした筆致の絵図が特徴だ。現在本学が建っている場所はどのように記されているのか、谷村の周辺を少し覗いてみることにしよう。 凡例によれば、丸印は宿場を、白い線が川を、黒い線が道を表している。谷村から小沼にかけては、「川棚」「十日市場」「夏かり」など、現代でも使われている地名が並び、「城山」と書かれた勝山城趾が背後に控えている。川棚の脇に記された「やむら原」は穀倉地帯を示しているのだろうか。夏狩と小沼のあいだにちょこんと書きこまれた「内マリ 法経寺」は、東桂の宝鏡寺のことだと思われる。方角や縮約はほとんど当てにできないし、真実を求める限りは頼りにならないけれど、こ本学附属図書館では「前編」を閲覧することができる旅の道のりと心得『富士山道しるべ』は、富士山参拝のための案内記。松園梅彦著、玉蘭斎貞秀画、万延元年(1860)刊行。江戸から吉田(北口)までの道のりを示すとともに、入山料や駕かご籠賃、各地の見所やお土産なども紹介。参拝のさいの心得を細かく記している。『富士山道しるべ』を読む牛丸景太(国文学科4年)=文・写真第3回『フィールド・ノート』編集部 =写真

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