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23「ドウジ道っちゅうだよ」 道の脇にある家を訪ね、中なかの野達たつお雄さん(85)にお話をうかがう。中野さんはもともと十日市場の人で、昭和32年に現在お宅が建っている土地を買い、5年ほど前まで田んぼをつくっていた。「みんなドウジ道っちゅうだよ。いまでも年寄りには通じるよ」 地図をお見せしたところ、中野さんはこの道に名前があることを教えてくれた。十日市場の人には、この名前で知られているという。ただし、「ドウジ道」の範囲は田原神社の近くにある入口から、本学附属図書館や児童相談所の横を走る道の手前までだという。「ここら(の田んぼ)は十日市場の人が多くもってただ。大学に入っていく道があるじゃん。その下が小野とかの人がもってた」「山を越してきただ。馬を引いてきた。自動車なんてにゃあだから(ないんだから)」 一枚一枚に区切られた数多くの田んぼ。それらは持ち主の住んでいる地域によってまとまりがあった。小野といえば、大学とは山を挟んで反対側にある地区。小野の人たちは元坂の水道橋(通称:ピーヤ)のところを越え、田んぼをつくりにきていたそうだ。その道は古地図にも確かに記録されている。道探しは順調にスタートした。 歩を進めて大学前の交差点まできた。一部はバイパス(天神通り線)と重なっているようだが、ふたたび小路に入る。寺川という水路が並走し、学生用のアパートが多く軒を連ねている通りだ。古地図上では、この先で大きなカーブが2度つづいている。その場所はいまのどこか、新旧2枚を見比べながら探していく。 山の等高線を参考に、それと思しき曲がり角に見当をつけた(②)。しかし、いまひとつ自信がもてない。事実を確かめるべく、近くのお宅で尋ねてみることにする。自転車で元坂を越えてきた 教えてくださったのは小こばやし林千ちはる春さん(52)。子どものころの話を聞かせていただいた。小林さんの家は、もともと元坂の向こうにある緑町にあった。現在お宅が建っている場所はもとは田んぼで、街ができつつあった30年くらい前まで稲作をしていた。*右頁下の写真……昭和30年代の上谷・田原地区。鍛冶屋坂トンネル付近から撮影されたとみられる。平地には田畑が広がり、山裾には桑畑が拓かれている(益子亮氏=撮影)②①③ドウジ道つるぶんかだいがくまえ南都留合同庁舎R 139児童相談所大学附属図書館★天神通り線開通記念碑ーパー大型スーパー富士急行線家中川天神通り線滝下浄水場100m0田原神社川寺 川都留文科大学へ①ドウジ道②曲がり角

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