80(単ぺージ)
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明治生まれの着物はかたちを整えているときはシャンとして健気に見える縫い糸を引き抜いて解いてみると大分くたびれている天にかざし陽に透かすと縫い糸が支えていた背縫いは折り目にそってすり切れている・・・・・・ (略)・・・・・・生き残った端裂に目をかけてやるアイデァが手をつなぎ楽しく躍り出る小袋を縫う「ワァーかわいい」ポシェットを縫う「ワァー素敵だ」生まれ出た喜びが小物たちに満ちてまわりの人間を活気づけてくれる眼鏡ケースブックカバーなどなど生き残りをかけた端裂からいい顔をして続々誕生するものたちさてこのエネルギーはどこからくるのだろうわからない算盤にのっからないものが体の内外に充満してくる      ̶̶「新生」遠藤静江・作 詩誌『樹』250号より 自分が、その環境のなかでどれほど真剣に向き合い、壁にぶつかっても乗り越えたいと思うか。遠藤先生はその「ハマる瞬間」を何度も経験してきているから、いつでも真っ直ぐな姿勢で相手にぶつかり、なんでもとことんやろうとする。私にはそんなふうに見えた。なぜ私は遠藤先生に惹かれたのか。それは遠藤先生がつくりだす「環境」に憧れたからだ。 いつだって遠藤先生の背筋はピンとしていて、笑顔が絶えない。遠藤先生の姿を見ていると私もやる気をもらう。「どうしてこんなに先生からパワーをもらえるんですかね」と、私はお話しているなかでふと聞いてみた。「情熱がほとばしるように伝えれば、それに触発されるよね。みんなを引き込むような眼の輝き。みんなを反応させるように自分が表情や感情をもつ。そのためには毎日みずみずしく生きなくちゃいけない。感動しなきゃいけない。見たり、聞いたりしてそういう機会に多く触れることが大事」 遠藤先生はいつでも何かに夢中になっている。話すときの表情で楽しかったとか、大変だったとかの気持ちも伝わる。私はいつも、本文中のイラストはすべて遠藤先生によるもの。2年半のあいだ、取材やイラストのお願いなどを快く引き受けていただきありがとうございました。そんなふうに生きている遠藤先生の「みずみずしさ」に刺激を受けていた。 「行うに小こみち路を行かず」。遠藤先生が教員になって間もないころ、校長先生から贈られた言葉だそう。遠藤先生は今もその言葉を大切にして生活している。何事も真正面から向き合うことが遠藤先生のポリシーだ。毎日をただなんとなく過ごすのではなく、目的をもって過ごす。そうすると遠藤先生のようにみずみずしく生きていけるのかもしれない。自分がやりたいと思ったことは出し惜しみせず、毎日を全力で生きる。それが遠藤先生の元気の源であり、すてきな魅力でもある。 「遠藤先生の夢ってなんですか」。そんな質問をしたことがある。「夢っていうのは……。いかに死ぬかっていうことは、いかに生きるかっていうことだなっていうのがよくわかってきたのね。枕元でチンと鳴ったとき(寿命をむかえたとき)、自分が、ああ、これで私の一生はよかったんだって言えるかどうか、それが最大の夢だよね」 私も遠藤先生のように生きたい。そのためにもっとお話を聞きたい。そう思ったから私は、遠藤先生のところへ通い続けていたのだ。31

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