80(単ぺージ)
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ふくらすずめを見ようとしても、最初はどれがふくらすずめなのか分からなかった。というのも、じっくり見たくてもそれが叶わないのだ。スズメ自体は毎日目にするものの、近づくとすぐに飛び立ってしまい、一箇所に留まっていることがまずない。それでも毎日意識するうちに、目で追うことに慣れてきて、膨らんでいるのかどうかが徐々に見えてくるようになった。 ふくらすずめの姿は、首が羽毛に埋まり着膨れしたかのよう。遠目でも目を凝らせば、ふわふわと立った羽毛が、風になびいて小刻みに震えているのがぼんやりと分かる。気づいていなかっただけで、この時季ふくらすずめは何度も目にする機会があるものだった。電線に、木陰に、落ち葉の上に。気づけばどこからともなく高いさえずりが聞こえ、忙しく飛び交っている。 ここからがふくらすずめだという基準は明確に決めようがないだろう。それでも何羽も見ていくうちに、朧おぼろげに「ふくらすずめだ」と感じるときと感じないときの基準が、自分のなかにできつつあるのを自覚していった。 彼らは冬だからといって、いつでもまあるくふわふわとしているわけではなさそうだ。雪が降ったつぎの日でも羽毛を膨らませないことがある。風の強さや日差しの暖かさを含め、私が寒いと感じるときにはふくらすずめを目にするが、さして寒さを感じないときにはあまり見かけない。彼らが羽毛を膨らませるかどうかの境目は、私たちが寒いと感じるかどうかと近いところにあるのかもしれない。種しゅやかたちは違えど、同じ感覚を共有しているようでぐっと近しい存在に感じた。 ふくらすずめを見かけるたびに「そうだ、確かに今日は寒いよなあ」としみじみ思うようになった。最初は見たいがために追っていたけれど、探す存在というよりは寒さをはかる存在になったのだ。はかるといっても、温度計の目盛のように具体的な数値を見てはかるものではない。風の強さ、日差しの暖かさなどを含めた、いうなれば「自然の温度計」のようなものだ。 寒さで街全体がしんと息を潜めるようにしている分、スズメの動きが際立って感じられるのだろうか。そんな日でも、彼らは変わらずあっちこっち忙しそうに飛び回り、雪の降ったつぎの日には、さらにはしゃいでいるようでさえある。彼らは小さなからだを目一杯大きくして、縮こまっているものたちを励ましているかのよう。そんな彼らのささやかな応援に、これから毎年元気づけてもらえそうだ。左:ふくらすずめの状態のスズメ右:暖かいときのふだんのスズメ

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