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北口本宮からの再出発牛丸景太(国文学科4年)=文・写真最終回『フィールド・ノート』編集部 =写真11月16日、私たち富士道を歩く会は、「北口本宮冨士浅間神社」の境内にいた。ここは当初、歩く会がゴール地点として目指していた場所だ。道順でいえば都留市のつぎは西桂町だが、案内をしていただくはずだったかたが急逝され、繰り上げで富士吉田市に集合となった。道歩きを先導する都留市郷土研究会の内ないとうやすよし藤恭義さん(81)は、道順通りに進むことよりも一回ごとの内容を重視された。今後は、西桂に詳しい人の参加を待ちつつ、都留市のほうへ引き返すルートをとる。北口本宮を起点に、土地の歴史や民俗を探究する旅の再出発だ。2013をくおよそ130基ほどある石灯籠のひとつを指し、内藤さんが一座に注意をうながした。「何かおかしなところはありませんか?」。参加者の視線は、広い森のなかの一点に集中した。 よく見ると、火ひぶくろ袋(灯りをともすところ)の下の中ちゅうだい台と呼ばれる部分に、寺院をあらわす卍のマークが刻まれている。神道と仏教とを結びつける「神仏習合」が富士信仰にもおよんでいた証だ。かつては五重塔や鐘楼など、仏教色の強い堂塔が建てられていたという北口本宮。それらの建物は明治の神仏分離政策によって破却され、いまでは痕跡を残すのみとなっている。 私たちはこれまでにも、壊された路傍の石仏(とくに頭のとれた地蔵)をよく目にしてきた。いくら時代の潮流とはいえ、長い時間をかけて培われてきた信仰や文化的な遺産が、そのときの国の政策によって失われ富士道 旅録北口本宮が鎮座する「諏訪の森」をまっすぐに貫き、大鳥居や社殿へといたる一筋の参道。両脇には富士講の人たちによって寄進された石灯籠が並び、整然とした美しい景観が境内の奥までつづいている。道歩きで大切にしたいことを、この参道の石灯籠からあらためて考えた。小さな事象を見逃さない眼42no. 80 Mar. 2014

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