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てしまうというのは何とも悲しく恐ろしい話ではないか。 心のよりどころが強い力で変えられ、否定され、あるいは破壊されてしまった人たちは、いったいどんな心持ちだったのだろう。当時の人々の心情を思わずにはいられなかった。 北口本宮に残る卍マークが入った石灯籠は、古い時代の信仰のかたちを教え知らせてくれる。しかしそれは、ほんの少しだけ意識を働かせなければ見落としてしまうようなささやかなサインだ。まずはその存在に気づけるかが問われる。 郷土研究会の安やすとみ富一かずお夫さん(87)は、「分からないことがあったら何でも聞いて」とよく声をかけてくださる。けれど、質問するにしても、まずは私たちが何かに着目し、問題点に気がつかないことには始まらない。 過去の痕跡から自力で歴史を読み取れるように、そして地域史に明るい方々と歩く時間をもっと豊かにするために、小さな事象を見逃さない眼を養っていきたい。卍マークを前に、そんな決意を新たにした。郷土研究会の方々は浅間神社のことを「お浅間さん」と呼ぶ。境内の面積は数ある浅間神社のなかで一番大きく、およそ8万㎡。「諏訪の森」と呼ばれる。諏訪という名前は、もともと諏訪明神を祀っていたことに由来。樹齢数百年におよぶスギやヒノキの大木が根を張り、あちこちにムササビの食痕(本頁左上写真)が落ちていた。登山口の鳥居から500mほど坂道をのぼったところに大塚山がある。山といっても、こんもりと土を盛り上げた丘のようなもので、日やまとたけるのみこと本武尊がここから富士山を遙拝したという伝説が残る。人工的なものではないかと内藤さんは考えており、「富士塚」の原型かとする説もある。浅間神社は、富士北麓が「冨士」、南麓が「富士」という表記を用いる。主祭神はいずれも木このはなさくやひめのみこと花咲耶姫命。大鳥居(高さ約18m)は扁額に「三国第一」とあるように、木造では国内最大として知られている。このときは60年に一度の改修工事中で覆いがかけられていた。折しも七五三のシーズン。境内は正装した親子づれで賑わい、本殿からはしきりに太鼓の音が聞こえた。西宮の奥に進むと白木の鳥居が見えてくる。ここが富士登山の第一歩を踏み出す入口、登山口であった。道の端には富士講の人々によって建てられた石碑(霊神碑)や石像が並ぶ。第12回(2013. 11. 16)の記録富士道を歩く会が半年ぶりに開催された。天候不順で延期がつづいていたけれど、この日は快晴に恵まれた。*富士塚……富士山を模して造られた人工の山や塚のこと。関東地方を中心に各地に点在している43

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