学報136号
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さよなら「文大」 平成19年度から本学の専任教員となり、早いもので今年度末に定年を迎えることとなりました。正にあっという間の10年間でした。それ以前の非常勤講師を含めると、35年の長きにわたって都留文科大学に関わってきたことになります。専任教員となってからは大学の運営に関してもいささかの貢献をなしてきたと思っていますが、ここでは研究・教育を中心に振り返りたいと思います。 私が最初に都留文科大学を訪れたのは昭和56年のことでした。前任の上杉陽名誉教授に「都留文科大学で非常勤講師をしないか」と声をかけていただき、先生の研究室を見せていただくとともに、大学周辺の古富士ローム層、田原の滝の柱状節理と古富士泥流堆積物、落合水路橋近くの猿橋溶岩などを案内していただきました。当時と比べて、地形的には大きな変化はないのですが、あの時に観察した露頭の多くは現在ではコンクリートや植物に覆われ、観察が困難となってしまったことが残念です。 本学の非常勤講師として勤めていた期間は、富士山の噴出物を主に上杉先生が、基盤の古い岩石を私が担当し、いわば分業体制で富士山とその周辺の調査研究を進めました。中でも三ツ峠山については平成7年度4名、8年度2名、9年度に3名の卒論指導を任せていただき、従来の説を覆す研究成果を出すことができました。上杉先生の後任として専任教員となった平成19年度以降は、富士山周辺の基盤岩の研究とともに、相模川や富士川の川砂の研究、琉球諸島の海岸砂の研究、地震防災・火山防災教育の研究、地域の地質教材の研究などに研究・教育分野を広げてきました。 また専任教員となって以降、上杉先生が中心となって収集してきた富士山周辺~南関東各地の火山灰試料を整理し、後世に残すことにも取り組んできました。富士山に最も近い位置にある大学として、富士火山に関する試料をまとめて保管することは都留文科大学の使命であると考えています。試料の整理は何とか進んでいますが、残念ながら私の定年までには終りそうにありません。私も協力するつもりですが、次の世代に継続して取り組むことをお願いしたいと思っています。 最後に個人研究として、私は大学院時代から日本の中期古生代珊瑚類の研究を行っていましたが、専任教員となって以降、恥ずかしいことにこの研究は中断した状況となっています。ずいぶん時間がたって浦島太郎状態のところもありますが、かつて全国各地で採取してきた化石試料をこのまま死蔵することは良くないと思い、来年度以降、立場を変えてもう少し都留文科大学にお世話になる予定ですので、“立つ鳥跡を濁さ”ないように、少しずつ片をつけていきたいと考えています。様変わりする自然の中で初等教育学科 教授 中 井   均平成28年度地学ゼミ3年生と、二十曲峠から富士山を望む2都留文科大学報 第136号

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