学報136号
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田作 岳朗 原恵一作品における<家族>とノスタルジー―ゼロ年代に向かう思想的潮流を背景に― 近代文学 新保 祐司ゼミ 宮本 蒼馬 近代日本文学と武士道秋山 史歩 安部公房「バベルの塔の狸」論池戸 看美 近代女流文学の”影”加納 瑠衣 近代文学における「猫」観小林あずさ 「坊っちゃん」における夏目漱石の笑い小林 沙貴 泉鏡花「夜叉ヶ池」論小松 陽輔 萬朝報論鈴木 菜生 現代における方言使用野村 晴香 正岡子規論尾藤 榛香 宮沢賢治の人間性―「雨ニモマケズ」を中心に―宮村 勇輝 近代的自我と内村鑑三の思想柳谷 勇輝 司馬遼太郎の人物観吉田 凪沙 武者小路実篤論米山 誠優 池波正太郎「仕掛人・藤枝梅安」論 国語学 古代語 加藤 浩司ゼミ 岩本 真典 重複形容詞について (前期卒業)市川 春香 古代語における引用表現の結び形式について入江 結衣 漢文訓読体における強調表現について廣瀨 絢 「仮名貞観政要」梵舜本・斯道文庫本における漢字音m・n韻尾の表記について森岡 和士 「仮名貞観政要」における「シム」について 国語学 近代語 鈴木 芳明ゼミ 石原 唯 J-POPの歌詞における人称代名詞内海 佑弥 歌に現れるオノマトペ柏木 知香 談話における行為遂行的発言―文末表現としてのガ・ケドを例に―小林 夏季 やさしい文章の特徴―子ども向けの文章を参考に―小林 真美 副詞「とても」の程度副詞化と共起する語五味 若菜 程度を強める副詞「ちょっと」柴野 大樹 現代日本語における読点の用法、および使用実態砂田 綾美 『言海』における稿本と私版本の見出し語の異同田中 愉己 接頭辞ドに対する若者の認識谷口 紗保 現代におけるマイナス評価出自の程度副詞中島ひかり 尾崎紅葉の言文一致体―「二人女房」の文末表現を中心に―中村 吹希 発話内容別に見る接客言語行動―文末表現を中心に―野村 侑生 「させていただく」の使用実態及び認識漢文学 寺門 日出男ゼミ 古目谷京子 朱熹の『詩経』解釈について鳥居明日香 李娃伝における恋愛について錦織 由季 『韓非子』の寓話について 国語教育学 野中 潤ゼミ 青野 秀哉 戦争教材から考える国語教育観小澤 萌恵 国語教材における家族像面田真梨子 国語教育における音読菊池 晴香 国語教育と学校図書館齋藤 光利 現在の国語教育から見る内容主義と形式主義佐藤 邦享 思考の形象化による対話的学習の質的向上竹内百合香 国語教材から学ぶ道徳教育永田 彩華 21世紀の国語教育におけるICT活用の実践に関する研究仲間 夢叶 国語教育と方言―琉球方言の歴史とこれから―野﨑 栞 国語科教科書採択のめあてと課題本間瑚都見 挿絵と国語教育森 公崇 「論理」「論理的思考力」概念及び周辺概念についての考察山縣 夏実 ディスレクシア(読み書きの学習障害)と国語教育山口 諒 古典教育の方向性日本文化 菊池 有希ゼミ 小川 将平 大岡昇平『野火』の映画化と視点の問題小林 弘樹 谷崎潤一郎『春琴抄』論 ―記憶が導く物語―三枝 沙季 乱歩作品に見る「片輪」表象―『踊る一寸法師』『一寸法師』『孤島の鬼』を中心に―酒井 杏子 村上春樹『スプートニクの恋人』における“スプートニク”白樫 千遥 宮沢賢治の芸術論―トルストイ『藝術論』受容を中心に―鈴木アイリ 泉鏡花『天守物語』『海神別荘』における異界観の観察鈴木 彩香 近代における上田秋成受容―泉鏡花の小説と溝口健二の映画を軸に―茅野なつみ 江戸川乱歩文学における『陰獣』の位置―本格/変格論争を切り口に―仲川 真由 太宰治『駈込み訴へ』における“ユダ”―新約聖書との比較を中心に―畠山 沙樹 遠藤周作『沈黙』における日本の精神風土表象滿留 悠平 葉山嘉樹におけるドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』受容―ドミートリーになり切れなかった男―宮永 夏帆 グラフ雑誌としての『明星』21都留文科大学報 第136号2018年2月28日(水)
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