学報136号
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28歳で体育教員として初等教育学科専任講師に着任して以来、38年間が経ちました。着任当時、大田堯学長が「新しい芽」を提唱し毎年教員を増員しており、私も「新しい芽」として採用されました。以来、8人の学長の下で研究・教育を続け、多くの卒業生を輩出してきました。 そもそも私が体育教員を目指した理由はというと。1964年東京オリンピックを契機に日本では様々なスポーツが盛んに行われるようになりました。しかし、日本社会でのスポーツの文化的価値は低く、「頭が悪いからスポーツぐらい出来ないとな。」とか、「スポーツ選手の頭は筋肉で出来ている。」などと揶揄されていました。スポーツ「大好き人間」の私にとって、このような言葉に疑問、怒りを感じ、「なぜこのように言われるのだろうか?それなら将来はスポーツ文化の地位向上に関わっていきたい。」と素直な気持ちで考えるようになりました。私は東京の超進学校と言われる私学に在籍しており、将来の進路を相談したところ、先生方総てが「我が高校に来て、何で体育教師の道なんかを選ぶのか?」と反対されました。へそ曲がりの私は、体育教師の道を選ぶことにしました。 あれから約半世紀が経とうとしています。スポーツの文化的地位は飛躍的に向上しました。「スポーツ選手は頭が悪い。」と言うような人はほとんど居なくなり、もし居てもそのような人は逆に見下されるようになりました。私が地位向上にどれだけ貢献できたかはわかりませんが、私が指導した体育専攻生やバレーボール部の卒業生達が日本各地の教育界で活躍し、スポーツ文化の向上・定着に貢献したことは間違いないと確信しています。 38年間の長きにわたり、都留文科大学の体育教員として勤めることが出来たのは、多くの素敵な人達に関わり、支えられてきたからです。長先生や一木先生は28歳の若造だった私に大学人としてのあり方を一から教えてくれました。後輩の麻場先生はアスリートとしての考え方や競技指導場面での学生対応の仕方を見せてくれました。事務局の方々は研究・教育を初め、委員会活動をいつもサポートしてくれました。私は多くの人達に「支えられ、助けられ、育てられ」定年を迎えることが出来ました。皆さんに感謝します。 そして、最も私を支えてくれたのは初等教育学科の「学生」です。小学校教員を目指す学生達は私の言葉をいつも真剣に聞いてくれました。明朗快活、真面目で辛抱強く、底意地悪く無く、卑屈にならない学生達に囲まれ、様々なことを考えさせられ、教えられてきたと感じています。定年を迎え、いま私はとっても「幸せ」です。これから都留文科大学に関わる人たちが皆「幸せ」であることを祈念しています。 ありがとう。文大。ありがとう 文大初等教育学科 教授 柳 宏ゼミ生と女子バレーボール部と3都留文科大学報 第136号2018年2月28日(水)
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