学報136号
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講演会だより ラブライブ!の映像が流され、会場の照明がすべて落とされると、ペンライトがゆれるアリーナと2101教室がひとつになった。千田洋幸先生が「これをやるために今日は都留に来た」とおっしゃっているのだから、もちろん止めるわけにはいかない。都留文科大学国語国文学会の歴史に汚点を残すことになるかもしれないという不安と、画期的な出来事として語り継がれる伝説になるかもしれないという期待が、教壇の脇の入口近くに陣取った私の心で交錯した。 講演会は、日本において「カルチャー/ポップカルチャー」の領土がいかに変質しているかという話から始まった。文学が純文学と大衆文学とに棲み分けられていた時代は終わり、アニメ・ゲーム・映画・マンガ・ライトノベル・音楽・美術などが等価に配置され、孤独と不安にさらされた個人が自分を支えてくれる小さな世界に引きこもり救いや癒しを求める時代。そんな「個人の総オタク化」の時代に、1980年代以降の日本が立ち至ったというのが、千田洋幸先生の見立てである。だらだら続く現実世界への忌避感が、「偽史」「時間ループ」「パラレルワールド」等、「ここではない・もうひとつの世界」を現前させる物語を流通させた。 ところが現在、AKBやももクロなどのアイドル文化に象徴されるように、コンテンツ創造のあり方が大きく変容しているという。ひとことで言えば、創作の側/受容の側の双方でアニメ世界とシンクロする新しい身体概念が創造されているということだ。聖地巡礼し、コスプレするオタクの身体が息づくのは、前世紀末の日本において希求された「ここではない・もうひとつの世界」ではない。言わば、「いまここにある・もうひとつの世界」である。そしてラブライブ!の映像が2101教室に現出したのは、声優アイドルという2次元+3次元のハイブリッドな主体に熱狂するオタクたちの身体の2次元の映像であり、それがまた、都留文科大学の学生たちが座る3次元の世界と地続きになった。言わばあれは、2.5次元の講演エンターテイメントだったのだ。 国語教育も文学研究も、アニメ・ゲーム・映画・マンガ・ライトノベル・音楽・美術などと等価に配置されざるを得ないのだとしたら、私たちは何をどう学び、活用し、探究を進めるべきなのかを、千田洋幸先生は問いかけていたのかもしれない。(国文学科准 教授 野中 潤)2017年国語国文学会主催講演会セーラームーン/ハルヒ/ラブライブ!から眺める三島由紀夫 〜“オタクの祖”とは誰か〜開 催:平成29年11月8日(水)講演者:千田洋幸 氏講師紹介千田洋幸(ちだ・ひろゆき)1962年生まれ。東京学芸大学卒業。立教大学大学院博士課程満期退学。島崎藤村を中心とした日本近代文学研究から出発し、その後、ジェンダー・スタディーズ、国語教材研究、ポップカルチャー研究に関心を広げる。著書に『テクストと教育―「読むこと」の変革のために』(溪水社・2009)、『ポップカルチャーの思想圏―文学との接続可能性あるいは不可能性』(おうふう・2013)がある。31都留文科大学報 第136号2018年2月28日(水)

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