学報136号
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おくることば 人生の岐路に立った時に、必ず開く1冊の本があります。『旅をする木』という本です。著者である写真家の星野道夫さん(1952-1996)のことは、10数年前、大学卒業の年に、恩師の紹介で知りました。アラスカの大地に被写体をもとめた彼の写真や言葉、そして生き方に、何度も励まされてきました。私にとっては、折にふれて、「今生きている」という実感と、「たった一度の一生を自然体で生きよう」という感情を取り戻すための必須アイテムとなっています。 その本の中に次のような一節があります。「結果が、最初の思惑通りにならなくても、そこで過ごした時間は確実に存在する。そして最後に意味をもつのは、結果ではなく、過ごしてしまった、かけがえのないその時間である。・・・ふと立ち止まり、少し気持ちを込めて、五感の記憶の中にそんな風景を残してゆきたい。」 都留で過ごした日々はどうでしたか?過ぎ去る時間の中で、様々な感情と結びついた風景が、身体に記憶されたことでしょう。今後の人生において、それが、ふとしたきっかけで身体の内側から湧き出てきたときには、少し時間を作って、じっくり都留の思い出に浸ってほしいなと思います。 私が都留文科大学に着任して4年を共に過ごした学生たちの多くが今回卒業します。みなさん、ずいぶんと大人になりましたね。率直にさびしいです。でも、そろそろ別れのとき・・・また会いましょう。 ご卒業おめでとうございます。4年間をともに文大で過ごした者として心よりお慶びを申し上げます。 この間、世間では様々な出来事がありましたが、個人的に感慨深かったのは囲碁で人工知能(AI)が初めてプロのトップ棋士に勝利したことです。その後は人間がAIに勝つことの方が難しくなってしまい、今ではAIの打ち方をプロ棋士達が参考にしています。囲碁でも人間が機械に追い抜かれたのです。 しかし、このこと自体は別に悲しむべきことではありません。機械は人ができなかったことも代わりにどんどんやってくれます。自動車もパワーショベルも、産業ロボットも。それらにより人間社会はますます便利で豊かになってきました。 もし悲しむべきことがあるとしたら、機械がやってくれることで便利になり、人間が本来有していた能力を弱らせ、ついには失ってしまい、生き物として退化している面が多々あることです。 授業で発表資料の文章中に空白のある学生がいました。「ここの文字をどうしてもワープロで打つことができません」と言うので、外字入力という方法もありますが、素朴に「後から手で書けばいいじゃないか」と教えると、「ああそうか」と驚いていました。ワープロやパソコンがなかった時代には当然だった「文字を手で正しくきれいに書く」という能力が、現在急速に失われているように思われます。 文部科学省は高校以下でもICTを導入した授業や学習を考えているようですが、私はせめて義務教育では今まで通り「文字を手で正しくきれいに書く」訓練をしてほしいと思います。古臭い考え方かもしれませんが、必要最小限のものしかない状況でも学ぶことを可能にする最低限の能力だと思うのです。 卒業して教員になる方も多いと思います。子供たちには、便利な道具や機械がないときでも工夫すればなんとかできるという体験をさせてほしい。それを「体にしみこませるように」、あるいは「あのとき先生はこんなふうにしていた」と脳裏に描けるように、育てていってほしいと思います。いかなる事態にでも柔軟に対応できる知恵と工夫の力こそ人間だけのものだと思います。旅立ちの日に!!人間の力初等教育学科講師堤 英俊国文学科教授加藤浩司8都留文科大学報 第136号

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