学報139号
2/40

 専任講師として1984年に本大学に赴任し、教員、職員、学生など多くの方々との時間の積み重ねを経て、35年間の勤務を終えることになりました。ハンガリーという国での留学生活も体験し、舞踊と音楽という新しい分野の研究者・教育者としてのスタートをしましたが、残念ながら数年後に大学の教員用のマイクロバスのよそ見運転事故に遭遇しその後10数年以上痛みや苦しみが続き、日常生活が普通に送れないため、まずは治療を優先し、授業をするのが精一杯でした。深い咳が何年も継続し通勤途中で病院に急行せざるを得なかったこともありました。集中して文字を読むことができず、新聞も本もしかりでした。もちろん研究活動も全く出来ませんし、日常生活もままならず仕事に力をつぎ込めない状態が長く続き苦しい期間がありました。病院にはあまり行かないでほしいと大学から言われ、一旦出た医師の診断による後遺障害の認定も、なぜか圧力がかかり後から医師がそれを撤回するというようなこともあり、また、年取ってきたら皆辛くなるのだから我慢せよ、被害者が外部の人だったらちゃんと補償はするけれど、との対応でかなり怪我以上に辛く悲しい思いをしました。とにかく体を健康にするために治療に通いながら、何とか授業をするのが精一杯でした。 その後少しずつ痛みは軽減していきましたが、自分の研究活動ももちろんのこと、授業以外の大学の仕事をする余裕はありませんでしたので、申し訳なく心苦しく思っておりました。理解ある先生方には助けられ感謝しております。 海外での活動もできるような体調ではなかったので、男子学生から教えてほしいと要望のあった社交ダンスをリハビリも兼ねて始めることにしました。まさにダンス療法の実践でした。実は当時は社交ダンスがそれほど激しい運動量のものだとは思っていなかったのでした。始めは少しずつ様子を見ながら慣らしていき、だんだんとレベルを上げていきました。怪我をしなかったら、学生に要望されなかったら、社交ダンスと出会うことはなかったかもしれません。身体運動、ダンスの奥深さや難しさ素晴らしさ、療法としての有益性など、多くのことを実体験として学ぶことができました。 「自然と生命」の健康に関する授業では、一人でも多くの学生たちに有益な大学生活を過ごしてもらえるようプログラムを考え、生活の改善化を図りました。実際かなり成果が上がり学生たちの笑顔で生き生きしている姿を見ることができ、前向きに目標をもって毎日を過ごすようになってくれて本当にうれしく思いました。 今後も、より素晴らしい大学になるよう、なお一層の発展を願っております。思いで深き文大学校教育学科 添 田 慶 子ストリートダンス部パフォーマンスボールルームダンス22019年3月8日(金)

元のページ  ../index.html#2

このブックを見る