学報139号
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三浦彩奈瑛  萩原朔太郎「猫町」―詩人としての原点回帰の旅―吉田 貴音  志賀直哉「清兵衛と瓢箪」論―少年の行く手を阻むもの― 近代文学 田口 麻奈ゼミ 張   賽  村上春樹『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』論―現実との関連性―出浦 真緒  江戸川乱歩における幻想文学性―『パノラマ島奇談』を視座として―鈴木比奈子  田山花袋 作家像の形成―『少女病』を中心に―花岡 桃子  はやみねかおる作品に見られるメディア性 ―『ディリュージョン社』シリーズを中心に―早坂 梨菜  村上龍『コインロッカー・ベイビーズ』論 ―母性とセクシュアリティの関係を巡って―東野美菜子  三浦哲郎と座敷わらし―『ユタとふしぎな仲間たち』を中心に日野えりか  伊藤計劃『虐殺器官』考 ―自称無神論者が見る地獄深沼 千尋  江戸川乱歩『陰獣』論―<客観性無き探偵>像―福田 萌栄  時代の中の「少女」―川端康成、吉屋信子を中心に―松木香奈美  麻耶雄嵩『さよなら神様』論―探偵の所在と「さよなら」の正体―松崎 篤嗣  米澤穂信『追想五断章』論~メディアを問う推理小説~三浦 静波  太宰治『お伽草紙』論―太宰が描く弱者たち―三浦 祐菜  伊坂幸太郎『ゴールデンスランバー』論―全体主義的テーマと読者のカタルシス―近代文学 有光 隆司ゼミ 緑川 育玖  森博嗣『ヴォイド・シェイパ』と新渡戸稲造『武士道』内山 雄太  新選組の武士道―司馬遼太郎「燃えよ剣」論大島 結希  国定読本のなかの偉人桒垣 彩美  梶井基次郎「冬の日」論小島ほのか  司馬遼太郎の乃木希典観 ~『坂の上の雲』・『殉死』を中心に~齋藤 直美  小説家「佐々木喜善」論坂本 陸哉  司馬遼太郎『坂の上の雲』における正岡子規鈴木 祥子  谷崎潤一郎「青塚氏の話」論―プラトンのイデア論をめぐって―濱田 啓守  司馬遼太郎『坂の上の雲』と武士道精神溝口  周  森鷗外『高瀬舟』における視点の揺れと二面性について光宗 拓人  火野葦平「麦と兵隊」論椋木 優衣  司馬遼太郎『坂の上の雲』における広瀬武夫像  山口 誠人  いわゆる司馬史観~『坂の上の雲』を視座として国語学古代語 加藤 浩司ゼミ 大嶋 庸晃  「いる」から「はいる」へ中内 幸恵  語頭母音イの脱落について羽生 明菜  中近世の狂言台本における「あて字」の使用について森脇 遥菜  「雖」の訓法統合の時期と要因若林 祐希  神や人の通称にみられる形態素の時代的特徴国語学近代語 中川 秀太ゼミ 石塚 円香  漫画における一人称代名詞 ―「俺」「僕」「私」「あたし」に注目して―上川 育恵  三重県方言の実態調査太田 桃佳  タレントのマツコ・デラックスにおける「―じゃない」の諸相小川なつみ  映画の邦題と原題における表現の違い黒尾 尚也  小学校一年生の教科書における振り仮名について ―国語科教科書を中心に―白林 涼葉  書き言葉に入り込んだ話し言葉の要素 ~大学生のレポートを対象に~髙橋 優花  SNSにおけるテキストコミュニケーションの特徴 ―「ありがとう」を例として―田中  彩  日本語教科書における複合動詞の扱い方田中  駿  大学生を中心とした重言の意識調査土屋 夏葉  『幼年雑誌』における外来語表記畠山 絢帆  J-POPの歌詞から見る男女の性差増尾 春果  テレビドラマにおける「了解」の使われ方の調査 漢文学 寺門 日出男ゼミ 内藤 晴花  『論語徴』研究小山 華乃  李杜韓白の特徴について佐久間春香  『太平広記』における夢について櫻井緋那子  『説苑』における管仲像清水 瑠児  曹植の「風」と自然観知念 義久  白居易の性説 戸圓 諄妃  美人描写からみる遊仙窟難波 杏奈  中井履軒の『孟子』解釈中島 晴恵  唐代の茶詩 ―白居易を中心に―国語教育学 野中  潤ゼミ 川村 青葉  読み聞かせと子どもの育ち安藤  睦  小林秀雄「無常という事」論片倉みなみ  アクティブラーニングと学校兼城 涼太  星野源の歌詞研究今野 翔太  ワークショップで開く国語教育昌  礼人  童話を授業に組み込むために ―『赤頭巾』『灰かぶり』―須藤 真姿  国語教科書から見た敬語教育の問題点と改善に関する研究田澤 寛太  国語科教育におけるテクノロジーの活用 ―主体的な学びのために―近野 葉月  国語科教育におけるキャリア教育の実践について平野 大樹  Google for Educationの利用で国語科教育はどう変わるか村吉 良太  食育はどうあるべきか ―学校給食の観点から―山田 英莉  子どもの読書活動について吉田  蓮  古典教育を充実させるICT教育の在り方吉山 千尋  通常学級における特別支援教育の在り方   202019年3月8日(金)

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