学報139号
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渡邉 文人 日本語ラップの新展開―「フリースタイルラップ」の存在と意義―齊藤 みどりゼミ阿部 駿介 日本の移民政策と今後の展望―フランスの移民政策と比較して―小浦ひかり 日本人の働き方を考える―労働における「日本式」の限界―友永晋太郎 進化論裁判―アメリカにおける宗教の意味―橋本 奏絵 リピーターを作り出すディズニーの魅力 ―東京ディズニーリゾートを中心に―萩原 唯人 太平洋戦争期から戦後における日米戦争観の違い-日本人とアメリカ人それぞれの原爆観、パールハーバー観-福満 香咲 ミュージカルにおける舞台芸術-劇団四季の作品を中心に-翠田 真一 “共生”を問い直す―日本の国際化と移民問題解決に向けて―長沼 磨輝 役割語から見る日本人の人種観―ハリウッド映画の翻訳から―佐藤 裕ゼミ工藤 太地 貸借関係における搾取と相互扶助―南インドにおけるインフォーマル・セクター労働者を事例に―石岡 良平 インドにおける社会運動とガーンディー主義の再解釈―脱開発から反汚職運動まで―岡田 篤志 ミャンマーへの開発援助―民主化過程における貧困削減の再検討―佐々木風帆 フェアトレードは何を達成するか―市場の変革と生産者自立の可能性―佐藤 恵美 農村の紐帯からみる女性の主体形成―長野県阿智村における地域活動の記録―半田龍之介 中国における若者たちの疎外と精神生活―階層化・学歴社会化の再検討―牧 直樹 ドヤ街から「福祉のまち」へ―大阪・西成特区構想にみる包摂と排除―横田柚香子 途上国におけるメガ・スポーツイベントと開発―〈経済成長と排除〉をめぐる諸議論をてがかりに―吉原 歩 途上国都市のグローバル化と貧困の郊外化―インド・グルガオンの事例を中心に―割田 真帆 観光開発と創られた伝統文化―インドネシア、バリ島の芸能・日常に着目して―志村 三代子ゼミ秋山 莉菜『バック・トゥ・ザ・フューチャー』から見るタイムトラベル穴田 凌也サイバー・パンクアニメの考察―『AKIRA』と『GHOST IN THE SHELL 攻殻機動隊』から―岩上 琴音アイドル・スターとしての高峰秀子大河原寿々風立ちぬ研究―宮崎駿の夢と創造―小澤 麻衣「日本の父親」笠智衆から考察する父親像の変化木谷弥太郎 映画のための音楽と音楽のための音楽―『ウエスト・サイド物語』と『逢引き』から探る映画音楽―高橋 明梨時代劇における偉人たちの描かれ方とキャラクターの変化―新選組を例にして―高橋 慧太オリンピックにおけるドキュメンタリー映画の演出と編集に関する考察―レニ・リーフェンシュタール監督作品『オリンピア』―髙橋 梢ディズニー映画『ムーラン』の分析―イメージの搾取と求められる東アジア像―髙橋 由美映画女優・オードリー・ヘプバーンがファッションリーダーとして愛され続ける理由武内麻希子宮崎駿が描いた理想と現実の世界―『魔女の宅急便』『ハウルの動く城』から見る人間の葛藤と成長―田中 里実映画女優 吉永小百合の女優像―サユリストとファン文化―土屋美実奈『羅生門』『MISTY』にみる男女像春田 崚佑西部劇的「男らしさ」と擬制的父子関係―クリント・イーストウッド監督作品を参考に―福田 理沙『麗しのサブリナ』オードリー・ヘップバーンと日本の関係福原 佳奈『家族ゲーム』から見る食卓風景と対人距離邊 英浩ゼミ天野 羽衣 家族・宗族の変容と再構築―現代韓国に生きる人々の選択肢の拡大とそれに伴う諸問題―藤田 星南 生命論の中のペット城田 波輝 AI進化の進展と生きがい―歴史と現在から分析する未来の社会と私たち―池谷はる香 日本の外国人受け入れ政策―入国管理局の現状と改善案―池 方円 中国の民主化の展望宮入 千尋 韓国語母語話者向け日本語教材研究高原 美咲 「国技」としての相撲―祝祭とスポーツのはざまで―大島 有紗 純白論 大坂 奏子 多民族·言語国家における平和構築―タンザニアの統治から―崔 喜承 韓国のフェミニズム運動―韓国のフェミニズムと性少数者―羅 茗卿 幼児教育の比較研究山本 和広 「在日特権」言説論福田 真也 体育会組織と規約堀内 亮汰 世界文化遺産としての富士山分田 順子ゼミ境野 隼太 イギリス独立党(UKIP)の台頭をめぐる一考察―UKIP支持者とそのEU観に焦点を当てて―本多由樹子 外国人介護士に求められる日本語能力とは―介護現場と制度の狭間の日本語―中村 裕子 外国人の子どもが育つ場としての学校と地域29都留文科大学報 第139号
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