学報139号
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さよなら「文大」 本年度限りで都留文科大学を去り、中央大学法学部へ移籍することになった。私は着任時50歳ということもあって、ここに骨をうずめようという覚悟を決め、最初の教授会の挨拶でもそう言った。だが大学側はそうは思わなかったらしく、お互いの幸せのため、移籍を選択することにした。たった8年間という短い時間だったか、経験したことは多い。 第一は、ゼミ(社会哲学)をもったことである。それまで大教室での授業ばかりだったので、12人ほどの学生と向き合って哲学することは、いままでにないことだった。私のゼミを選択するのはどこか悩める若者が多かったような気もするが、生きづらさを抱えている彼らに居場所を与えるという役割は果たすことができただろうか。もっともそうは思わない人々もいて、来年度限りで社会哲学ゼミは廃止されてしまう。たしかに哲学をするような人間は従順じゃないから、彼らが求める学生像からすればはずれているのだろう。 第二は、組織の運営というものに関わったことである。私は非常勤時代が長かったので、組織に所属したことがほとんどない。一匹狼というほどかっこいいものではないが、「一人の、一人による、一人のための人生」を送ってきた人間が、組織に属し、作ることに関わるのは新鮮な経験だった。 社会学科のためになにがしかのことはできたと自己評価はしている。もっともまたそうは思わない人々もいて、私はいまどこの会議にも出席なくていいし、大学運営上の仕事もあまりしないでいい身分になっていた。入試をはじめいろいろ忙しい他の教員の手前申し訳ない思いだが、それも大学側が決めたことであるからご勘弁願いたい。 第三としては、教職員組合のことが挙げられる。私はこの大学にくるまで組合に所属したことがなく、組合員になってからも学科の執行委員にさえならなかった。それが2015年に前任者から突然書記長になってくれと頼まれ、意図が分からず生返事をしている間にそうなってしまった。生まれて初めて世のため人のため、他人様の生活のために走りまわった。これはほんとうに世の中の見方が変わるほど得難い経験だった。就任前から始まっていたいわゆる「退職金裁判」に原告教員の支援をして大学側の姿勢を正し、2度の勝訴で画期的な判例と言われるものをつくるのに協力できたことは忘れられないだろう。そのために払った代償も大きいが、大げさに言えば、これからの人生、ほんとうに胸を張って生きていける体験をさせてもらったし、哲学者としての使命を果たすことができたから十分引き合う。自分の姿勢にそれなりに満足して消えることにする。ありがとう、私を支えてくれた教職員のみなさん。都留での得難い経験社会学科教授 黒 崎 剛研究室の窓から見た桜5都留文科大学報 第139号
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