学報139号
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ご卒業おめでとうございます。2015年に本学に着任した私にとって、同時期に入学された皆さんの旅立ちはひときわ感慨深いです。 ドイツ文学者の高橋義孝さんは自著『言いたいことばかり』のなかで「教養をつけるとは泣面をすることである。ぽろぽろとくやし涙を流すことである」と書きました。「なぜ事態はこうなのか、それを理解したいのに、読んでも意味が掴めず、「原著者を馬鹿野郎呼ばわりし、自分の頭を自分でなぐりつけ、くやしく、残念で、ぽろぽろ涙をこぼす」。そういう切迫がないところに、教養の〈眼〉など備わりようがない」と哲学者の鷲田清一氏は解説しています。皆さんも4年間の授業のなかで、様々な人たちが書いた書籍や論文に出会ったことでしょう。難解な文章に頭を抱え、それがゼミで担当する論文だったらなおさらのこと、冷や汗をかきつつ「原著者を馬鹿野郎呼ばわり」した経験もあったかもしれません。しかし、その晦渋な著作に対して悪戦苦闘し、結果的にはその内容を100%理解できなかったとしても、自分自身の考えで自らの言葉を紡ぎだす行為を愚直なまでに積み重ねていくことこそ、大学での得難い経験なのです。情報が有り余る現代において、これから社会人となる皆さんは、情報の良し悪しを判断していく「教養」がより必須となっていくでしょう。とはいえ、大学4年間のうちに教養が身につかなかったと嘆く必要もありません。自学自習して身につく教養とは、社会になってからでも、自分が気づきさせすれば身につくものだからです。〈眼〉はいつでも開かれることを待っています。 大学院文学研究科を旅立つみなさん、修了おめでとう。 それぞれが、大学院に進学する際、胸に抱いていた所期の目標を達成し、充実感をもってこの日を迎えておられることと思います。 6年前、都留文科大学に赴任した私は今春、同じく6年の歳月を、本学社会学科、大学院で学んだ方々の旅立ちに立ち会うこととなりました。みなさんが研究活動を行い、修士論文に仕上げていく過程に並走出来たことは私にとっても大きな喜びでした。途中、思うように進捗せず、はらはらさせられた時もありましたが、あとから振り返ってみれば、研究の過程で当然越えなければならない山や谷、大きな川の前の一端休止でしたね。本を読み、フィールドで人に出会い、学内外の諸先生方から支援を得つつ、最後まで粘り強く自分の頭で考え、さまざまなデータを一つの論文にまとめ上げるべく、それぞれが頑張りました。 みなさんは、これからの時代を生きていく何百万という日本の若い世代の中では、また、何億もの世界中の若い世代の中では、ごく小さな数の人びとにすぎないのかもしれません。しかし私は、これほど真摯な学究生活を送ったみなさんを社会に送り出せることを、とても誇らしく思っています。 どうか多くの人と交わって、皆さんの個性と力を多くの人に分け与えながら、充実した人生を送ってほしいと思います。そして、どうかこれまでに培った知性と教養を土台に、“善い社会”を創っていって下さい。教養の〈眼〉大学院を修了するみなさんへ比較文化学科准教授志村三代子大学院文学研究科社会学地域社会研究専攻田中里美82019年3月8日(金)
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