都留文科大学学報(最終)【Web差し替え(R7
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例えばウクライナとロシアの戦争をとり上げよう。私が、心理臨床家として現実社会で生きる人のこころの動きに関心を向けてきた習性から、気になることがある。両陣営供に、自分に有利な情報(虚偽も含め)を使って人々の不安や劣等感を刺激し、それを補償する「正義は我等にあり」というプロパガンダを、最新鋭の情報技術を駆使して瞬時に世界に流布して、まんまと国際世論や国民の感情的支持を我がものにしている点である。 情報を自ら吟味し行動選択する主体性を発達させてこなかった一部の風土の中では、政府や大手メディアが伝える情報や解釈は権威付けられ「事実」と受け取られる。同時に、不安や過去の恨み等を刺激されれば情緒的に煽られて、何方が本当か分からない不安には耐えがたくなり、理性的な吟味を加えることが難しい人が増える。そこに、「ナチス」等の悪のシンボルを持ち出し、敵を増悪対象と同一化させることが続き、情報操作の思う壺に嵌まる。 後になって事実が露呈して嘘が剥がれ落ちる場合(例えば「イラクに大量破壊兵器は見つからなかった」等)があっても、どちらの陣営においても、自分が騙され「正義は我等に無かったかもしれない」と自覚することは、耐えがたいことである。そして、作られた情報に煽動された連帯感の中に依存し続ける快感から脱して、これを自ら疑い検証を試みる人は稀となり、「私こそ被害者だ」と言う。 かくして、人々のこころに生じた憎しみは深く根づき、何代にも渡ってお互いを引き裂き傷つけ続けることになるのは、中東を見ても明らかである。おぞましい歴史である。 ひるがえれば、日本への中国や朝鮮始めとする諸国の猜疑心も、我々の過去の行いに起因している。学びが、建設的未来を拓く。 ウクライナとロシアの戦争を見ても、どちらの主張が正当か判断がつかぬ時は、「これで、儲かるのは誰か」という視点を持ち得るか否かが、決定的な分岐点となるだろう。 我々大学人は、世間から理性的と目されがちである。しかし、「異口同音に学生が皆言っている」ということ自体が組織された不自然な状態ではないかと疑わずに、あるクラスのLINEで春日の悪評が拡散されたという証言も有るにも係らず、「10月から自主ゼミを立ち上げた学生達を含む全てのゼミ生に、12月に、自主ゼミへの参加を強要した」などタイムマシン無しでは不可能なことや、「過重な課題を強いられた」という学生の提出物は他の学生同様に数行であったことや、一緒にゼミや授業を受けていた学生の証言が有るにもかかわらず、対等に議論ができる状況で問題を解明しようという場を、我々は持ちえずに来た。本学に染まりきっていない新学長は理解し、私を教壇に戻したが、差別的な対応は続く。無関心が不健全な職場文化を継ぐ。 共に協力して子供達のために明るい社会を築けるよう祈り、旅立ちの言葉とします。大変な時代に新しい舞台に踏み出す―コロナ・戦争・サイバー犯罪・軍備増強・裏バイト―初等教育学科教授 春日作太郎ゼミ生呼びかけ「誰でも春合宿“クラウン”」さよなら文大11都留文科大学報 第151号
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