都留文科大学学報(最終)【Web差し替え(R7
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国語教育学 野中 潤ゼミ有馬 遼稀マルチモーダル・テクストとしての サブカルチャー教材の受容と国語教育~TVアニメ「平家物語」の教材価値と可能性~石津 和則これからの時代に求められる国語教育とは磯﨑 美和フェミニズムへのまなざし −〈ツイフェミ〉のTwitter投稿分析から-井上 幹感性・情緒の育成における新聞活用教育(NIE)の有効性について岩崎 夏萌高等学校国語科における立体的な〈読み〉の力とその指導大日方 碧教育評価のあり方 −価値を置くことの意味と「学び」をめぐって-小久保亜美外国につながる子どもにおける学校支援の可能性小林 真央学校教育における読書活動の扱いについて鈴木 静華国語科が担う平和教育について清野 真結芥川龍之介『蜜柑』の教材的価値について長崎 惇起戦前戦後の国語科教育と「定番教材」から見る これからの国語科教育宮下 麻美学校教育における読書 −ライト文芸がもたらす可能性-岩ケ谷瑞穂国語科における演劇教育の有用性日本文化 菊池 有希ゼミ今井 幸枝漱石文学における「自然」―『それから』を基点として―大木 和奈安岡章太郎『ガラスの靴』におけるシンデレラ受容木俣奈津子中島敦「狼疾記」におけるフランツ・カフカ「巣穴」受容田中 希和宮沢賢治「青森挽歌」におけるアンデルセン「雪の女王」受容TAN ZHEN XIN 谷崎潤一郎『少年』におけるマゾヒズム―澁澤龍彦のマゾヒズム研究から考察して―羽田亜梨紗有島武郎「一房の葡萄」における児童視点と西洋人表象久光 春陽有島武郎「燕と王子」における社会主義・無政府主義思想―オスカー・ワイルド「幸福の王子」との比較から―福沢 南森鷗外『水沫集』における〈ドイツ三部作〉の意義―『うたかたの記』『舞姫』『文づかひ』にみる「ノエルレ」受容―松尾 茉奈夏目漱石『三四郎』『こころ』における「新しい女」表象―イプセン受容を基点として―松藤 遥香尾崎翠作品におけるウィリアム・シャープ/フィオナ・マクラウド受容吉田 萌華泉鏡花『夜叉ケ池』におけるハウプトマン『沈鐘』受容―「愛と婚姻」を補助線として加藤 めぐみゼミ青木 裕聖現代の全体主義批判として読む『時計じかけのオレンジ』及川 紗羅オードリー・ヘップバーンの人生における「愛」について尾形 舞雪ヒッチコックの描く女性 ~女性・母親への恐怖~川本 梨菜『アナと雪の女王』から見る真実の愛小西柚貴子Memento Mori におけるイギリスの高齢社会と「死」の受容嶋崎 亜澄子どもの教育における物語の意義ー童話・昔話から絵本の未来へ杉浦 晶湖『ドリアン・グレイの肖像』に見るワイルドの自己投影田畑 友清カズオ・イシグロ『わたしを離さないで』、『クララとお日さま』に見るポストヒューマニズム冨田 夢叶『高慢と偏見』と『マイ・インターン』に見る結婚・ジェンダー観の変容干畠 大樹ロックバンドQUEEN が描く孤独感本間 寛美ディズニープリンセスとジブリの女性主人公からみるジェンダー論渡邊 南海脱ロマンティックラブイデオロギーからみるパートナーのあり方渡邉 陽介誰もが自由に生きられる社会を目指して −ジェンダーの観点から小室 龍之介ゼミ川口 駿『わたしを離さないで』に見るキャラクターの動きに表れるカズオ・イシグロの意図石倉 詩織『オーランド-ある伝記』における英国性可知 新大R.L.スティーヴンソン『ジキル博士とハイド氏』における人間の二重性権田 凌クローズド・サークルの特性やキリスト教の観点から考察する英文学作品における殺人とは −アガサ・クリスティーとグレアム・グリーンを例に-酒井 麗奈共有され、昇華された狂気-ミレー作≪オフィーリア≫から漱石へ冨田 聖エコクリティシズムから紐解くD.H.ロレンス『菊の香り』濵 和奏ジャネット・ウィンターソン『オレンジだけが果物じゃない』におけるフェミニズムとオレンジの暗示するものについて林 朋花シェイクスピアと歌舞伎藤野紗璃南ロアルド・ダール『チョコレート工場の秘密(Charlie and the Chocolate Factory)』の魅力英文学科242023年3月6日(月)
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